日記・コラム・つぶやき

「量子力学的 感謝日記」を読んで思ったこと

 今読んでいる本のこと

ここにある本(左)はブログを休むことを決めた日に、いつもの本屋さんにいくと
これを読みなさい!
といわれたような気がして買った本です。

最初に「量子力学的感謝日記(左:2025/10 発行)」を、そして読み終わってから
自分発信で願いをかなえる方法(右:2018/11 発行)」をアマゾンで購入しましたが
どちらもほぼ同じ内容でした。

この「量子力学的 感謝日記」を買った理由ですが、この本を見つけたときに
人生が一変する 」というキーワードをみて、好奇心で買いました。

他にも量子力学のこと、ゼロポイントフィールド、フォトン、周波数というキーワードが全体の1/4くらい書かれています。そのどれもがぼくの心をくすぐる言葉でした。

そして「就寝前に感謝行を3つ、自分褒めを3つだけノートに書く」、これを2週間続けなさいとあり、「感謝行」「自分ほめ」という感謝日記の書き方が書かれています。

さらにその効果についての具体的な体験談が、いくつかの例で書かれています。そして2/3くらいのところで「この先は2週間後に読みなさい」とありました。

こうして、この本がきっかけで、感謝日記が始まりました。これを2週間ずっと続けます。

「感謝日記」を2週間続けた感想

2週間というのは、書き始める前までは長い期間のようでしたが、終わってみるとそれほど長くは感じませんでした。

それでも書き始めのころは「感謝日記」という習慣がなかったので、寝る前に「う〜ん、何があったかなあ〜」と唸りながら捻り出すという感じでした。

毎日書いている「ほぼ日5年手帳」の左側はいつもの形で思ったことを日記を書き、そして右側のページに「感謝日記」を書き加えることにしました。

普段の生活は外部との接触も少ないですし、仕事もしてなくて単純な毎日です。だから「感謝」と言われると書くことがないんですよね。それでも何とか2週間書き続けました。

それでは、これから「本当に人生が一変したのか?
自分自身で体験したことを書いてみますね。

2週間「感謝日記」を書きました

ちょっとジラされた気持ちもありましたが、それでもなんとか2週間ずっと書き続けることができたので、ようやく、読みたかったその先を読むことができます。

そこには「感謝日記」を書くことで、どういう変化があるのか?が書かれていました。

例えば

悪いことが起こらなくなるわけではなく、
悪いことが起こるけど「とらえ方」や「対処方」が変わる
と書かれていました。

さらに大切なことは「書く」ことより「浸る」ことに集中すべきだ。「温泉に浸かるように心が気持ちいい〜」と感じるように「感謝日記」を書くことだといいます。

「浸る」ことで、自分ほめ温泉に入って「今日、私はこんなことしたな」「まじでえらかったなー」と褒めることができるようになります、⋯⋯ ということですね。

「なに? 浸る!だと?」⋯⋯ どこかで読んだことがあるような気がするなあ ⋯⋯?

他にもこの本を読んでの体験談がいくつか書かれていました。
まぁ、とにかくその先へと、最後まで読み進みましょう。

えっ!? これだけ?

ところが、その先はぼくが期待した手応えのようなものはなく、残念なものでした。

というのはですね。
前半で「量子力学、ゼロポイントフィールド、フォトン、周波数」のことが書かれていて、それと「感謝日記」との関係性を知りたかったのですが、よくわからないんです。

最後の方に

「私たちはゼロポイントフォールド(ZPF)の一部です。ZPFはすべてがつながっています。つながっていることを知ると、波は整いやすくなります。それには浸ることが大切です」

みたいな感じで、要するに「信じるものは救われる的」なイメージで終わっています。

もちろんこれは、ただぼくの解釈力が足りないだけかもしれませんが⋯⋯。これだけですか? という、物足りなさでいっぱいでした。

ただし、感謝日記そのものは悪いとは思っていません。毎日、今日という一日を振り返って「良かったこと、感謝すべきことを日記に書く」その習慣はとてもいいことです。

ですから、今までほぼ日手帳を書いていたように、この先も感謝日記という形で続けていきたいと思います。

⋯⋯ う〜ん、でもこれぢゃ消化不良なままで終わってしまいそうです。

「死は存在しない」という本

「ゼロ・ポイント・フィールド」という考え方について、少し消化不良ぎみだったので、田坂先生の「死は存在しない」という本をもう一度引っ張りだしてきて読むことにしました。

この本は「死後の世界を信じますか?」という話になっています。これは肉体がなくなっても意識は存在するという話です。

そこで出てくるのが、ゼロ・ポイント・フォールドの世界です。「この世界には全ての出来事が、波動情報として蓄積されている」ということです。

つまり「肉体が死んでも、意識の情報がZPFに残り続ける、つまり私たちは生き続ける」ということです。

まあ、ここまでくると、ぼくの頭では、何がなんだかわからない世界に感じます。

でも「時間と空間を超えた世界がある」というのは、これまでのぼくの経験の中でいくつかあります。ですから、この世界があるとぼくは思っています。
例えば⋯⋯。

① 地図がなくても、その場所に着けた体験
まだ車にナビというものがない頃でしたが、ある日、かみさんと三好町にある「三貴フラワーセンター」に行こうと思いました。

もちろん初めてで、そこに行ったことはありません。三好町という町もあまり知らない町ですし、その距離も30キロ以上先で、かなり遠いところにあります。

そして車で出発すると、地図をみることなく、もちろん看板もない田舎道を進んでいきました。自分でも不思議でしたが、何かに導かれるようにどんどん進んでいきました。

すると、突然「三貴フラワーセンター」という看板が見えたのです。まさか!?ですが本当の話です。その後も、地図がなくてその場所に行けた経験は、何度もあるのです。

② ○○トンネル事故を回避できた体験
今からもう13年前に、山梨県の勝沼に旅行に行ったときの話です。勝沼といえばワイナリーの里で、多くのワイナリーが点在する所です。

そのワイナリーを巡るというのが主な目的の旅です。車で中央道を通り、途中にある「紅葉の名所 昇仙峡」に立ち寄り、宿のある真木温泉へ向かうコースです。

そして一旦宿についてから、電車で勝沼の「ぶどうの丘」に行って、タクシーでワイナリーを巡る計画でした。ところが直前になって計画を変更しようと思ったのです。

中央道ではなく、東名高速で河口湖経由で真木温泉に向い、そこから電車とタクシーでワイナリーを巡る計画に変えたのです。

つまり直前になって「昇仙峡」に行くのをやめて、別のコースに変えたのです。なぜかその時は何ともいえない嫌な予感を感じたからです。

そして1週間後、あの悲惨なトンネル崩落事故が起きました。もしもコースを変えなかったら、そして宿の予約が1週間後だったらと思うと⋯⋯。

今はその事故に遭われた方々のご冥福を、心より祈るばかりです。

他にも数えると、こういう不思議な体験が7回くらいくらいありました。

これらの経験をしたことで、時間と空間を超えた世界、「ゼロ・ポイント・フィールド(ZPF)」の存在を無視することができません。

田坂広志先生の「運気を磨く」という本

さらに、田坂広志先生が書いた「運気を磨く」という本のことも書いてみたいと思います。

この本にも「ゼロ・ポイント・フィールド(ZPF)」という言葉があります。

その内容についてその一部を箇条書きに書いてみます。
ココからが、ぼくにとって一番重要なポイントになります ↓↓

⚫︎ 表面意識にポジティブな想念を強く持てば、それが無意識の世界にも浸透し、「良い運気」を引き寄せる。ところが、
我々の心は常にネガティブな想念に支配されている
ということです。
⚫︎ つまり、どれほど強く「ポジティブな想念」を持っても、
「ネガティヴな想念」を持ってしまう
のである。つまりプラスの電荷とマイナスの電荷は、同時に同じ量発生するのだ。
⚫︎ ところが無邪気な子供にはネガティブな想念がない。ということは
大人でも子供のように「無邪気な心」を持っている人
はこの想念の分離が起こらない。

そのための方法が3つ書かれていますが、

その一つが「自然の偉大な浄化力に委ねる」ということです。

⚫︎ ただ眺めるだけではなく、自然に身を浸すこと、自然と正体すること。
⚫︎ たとえそれが近くの公園の緑でも、路傍の草花であってもよい、その自然に虚心に向き合うことである。それを習慣として身につけることだ。
⚫︎ ネガティブな日常言葉を使わない。ポジティブな日常言葉を使うこと。そして、感嘆、感謝、感動の言葉を使うことで良い気を引き寄せる。

そういう目で花を見ると、心が浄化されるような気持ちになりますよね。

真っ青な空を見上げると、心が晴れた気持ちになれますよね。
これは誰しもそう感じることじゃないでしょか?

だからぼくは気分転換に散歩をしているんですが、大切なのは「自然に身を浸すこと、自然と正体すること」だそうです。

⋯⋯ あっそうか、感謝日記で出てきた「浸す」というのはこのことなんですね。

絶対肯定であれ!

この本には、他にも多くの具体例が書かれていますが、
とにかく田坂先生は「絶対肯定」です。

「絶対肯定」とは何かというと、人生においては、否定的なもの、ネガティブなものは、一切ないという考え方です。

つまり、人生で与えられるすべての出来事は、それがどれほど否定的なものであっても、我々の心の成長や魂の成長という意味で、必ず深い意味を持つということです。

「ポジティブなもの」も「ネガティブなもの」も含め、すべてを肯定していくという「究極のポジティブ思想」です。

そうすると
ポジティブとか、ネガティブとかの枠がない世界
になるんですね。

そして、最近のできごとも、すべて思い当たることばかり、素直にそう思えますよね。

こう考えると「感謝日記」というのは、ネガティブなことであれ、それを感謝に変えて、ポジティブなことに変換する。ということでしょうか?

これでぼくの中で、いろんなことが腑に落ちたような気がします。

これからのこと ⋯⋯

人生というのは、どんなことも、その出来事を、どういうふうにとらえ、どういうふうに解釈していくのかで、大きく変わってしまいます。

ですから、この先に起こることが、ネガティブなことに思えるようなことでも、それをポジティブな気持ちに変換することで、幸せな気持ちになれそうですね。

みなさんは、どう感じたでしょうか?

今日も長い文章でしたが、最後まで読んでくれて、ありがとうございます!

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