Loading [MathJax]/extensions/tex2jax.js

このあと どうしちゃおう

人生はいろんな出会いがある。例えば人であったり、本であったり、テレビであったり。それはただの偶然的な出会いではなく、「必然的な出会い」なのかもしれない。

昨日のブログで偶然 NHKテレビで見たヨシタケシンスケさんのことを書いた。さっそく今日は本屋さんに行くと、児童書エリアで「ヨシタケシンスケ コーナー」がもうけてあった。と言っても幅が1メートルくらいだけど。

そこにはすでに40代のお父さんらしき人が一人いて、子どものために買いにきたんだろうか。ずっとどの本にしようかと迷っているようす。これはまだなかり長引きそうだなと思った。

隣のブロックにまわると著者順のコーナーがあり、そこにもヨシタケシンスケさんの絵本が置いてあった。ぼくはどの本を買おうかあらかじめ決めていたので、「このあと どうしちゃおう」を手に取ってレジに向かった。

この本のあらすじは「ダ・ヴィンチニュース」に書かれているので見てね。

家に帰ってさっそく読んだ。絵本なのでゆっくり読んでも5分ほどで読めた。でもそのあといろいろ考えた。大切なのは本を読んでそこから自分なりに何を考えるかってことだよね。

「じぶんが しんじゃったら どうなりたいか どうしてほしいか それをノートにかいてみる」

自分が死んだあとのことなんて今まで考えたことはなかった。おそらく多くの人もそんなことは考えないよね。でもこんなふうに面白おかしくいろいろ考えてみるのも、確かにいいことなんだと思う。

YouTubeでこの本のことを調べたら、「五島夕夏の絵本チャンネル」で紹介されていた。わかりやすいのでぜひどぞ!

この動画の最後のほうに「付録のインタビュー」のことが書かれていた。

えっそんなのがあるの? 危うく間違えて捨てるところだった。この中に書かれていたことがぼくの思っていることと同じだった。

結局「ものは言いよう、考えよう」だと思うんです。どんなに満たされていても不幸な人もいれば、ぎりぎりの生活をしていても、その状況を笑いに変えて生きていける人もいる。その違いは、その人の根本に、世の中を面白がって見られるセンスみたいなものが備わっているか、だと思うんです。

ぼくもまったくそう思う。

例えばなんだけど、ぼくのことを想像してみた。もしぼくが死んだら、そのお通夜や葬式の晩に親戚とか友人とかが集まってくれて、そこでみんなが酒を酌み交わしながら、面白おかしく「あいつはこんなバカなことやってたんだよね」とみんなが大笑いするような場にしてほしいと思っている。

明日からさっそく「このあとどうしちゃおうノート」を作って、ぼくが死んだらどうなりたいか、どうしてほしいか、そんなことを面白おかしく書いていこうかなと思っている。その中に先ほどのことも書いておこう。

そして、こんな動画も見つけた。実際にヨシタケシンスケさんが「なにかをつくる30分間の動画#005」であるものを作っているところが見える。こんなふうにイラストを描いているんだね。面白いなあ。

ということで、たまたま昨日偶然に見たテレビがきっかけで、ぼくの中に「新しい何か」が芽生えてきたように思う。人生はいろんな出会いがある。例えば人であったり、本であったり、テレビであったり……。

その出会いというのは、まさに「奇跡的で必然的な出会い」と考えると、それはぼくにだけのメッセージであって、そのメッセージを聞き逃さないようにすることで、自分にとってこの先の道しるべになっていくと思っている。こういう何かに引っ張られている感じってわかるかな。

さあ、そのノートなんだけど、できたらめちゃくちゃカッコいいノートにしたいなと。いつもながら「形から先に入る」りゅうじオジサンなのであった。笑

 

-
-,

S