3日前にギターを弾いていて、手首をひねって腱鞘炎のように痛めてしまった。ところが、次の日は右手首も痛みだした。ひょっとすると、これはギターじゃなくて、ローイングで無理しすぎたのかもしれないな。
本当はこの夏休みを「ギターの特訓」にと決めていたんだ。なのでとても残念……。仕方がないさ、ギターを弾くことができないから、アマチュア無線(これは台風でアンテナを撤去した)と読書をゆっくり楽しむことにしよう。
ということで本屋に行ってきた。そこで選んだのが直感的に読みたいなと思った「俺たちはどう生きるか」と「竜馬がゆく」と「元気に下山」の3冊だった。
ぼくは例えば3冊買ったとしたら、1冊の本を全部読み終わったら、次の本を読むということができない。3冊を並行しながら少しずつ読むんだよね。1冊だとしてもえらく日にちがかかる。歳とともに「根気」がなくなってしまったからだ。
でも本は好きだ。本がない人生など考えられない。もしも、電気のない無人島に行くことになったら、本とギターだけあればいい。お〜っと、もちろん焼酎は大量にいるけどさ。笑
大竹まことの「俺たちはどう生きるか」という本は、タイトルは似てるけど、あの有名な「君たちはどう生きるか」とは全然違う内容だった。
この人の若い頃の仕事や住む所を転々とした、「恥ずかしい」と本人が言う時代のこと。そして、70才というジジィとして、身近な出来事や政治について「偉そうに何もできないジジィが目一杯吠えてみました」と言いながら本音を書き綴る。
独特の表現が面白い。そして、自筆の原稿用紙も掲載されていて、これは面白い。特設サイトには原稿のやり取りもあって、こういうのはぼくは好きだ。なんだか原稿用紙が欲しくなってしまった。エッセイを書いてみたくなった。書こうかな? 笑
そして、自分の読んだ本のこと、映画のことも紹介していて、そのうちの一つ「オン・ザ・ミルキーロード」をAmazonプライムビデオで観た。こういう奇想天外な映画は好きだ。でもエンディングがちょっと切ないなぁ……。
ぼくは本を読んでいる時に、著者が紹介してくれた、本や音楽や映画があれば、必ずチェックする習慣がある。それはたぶんきっと「これを読みなさい(聴きなさい、観なさい)」という天からの声に思えるからかもしれない。でもそれが出会いというものだ。
そして今年86才になる五木寛之の「元気に下山」。
「下山」という言葉で、老後をどう生きたらいいか、48の問答集として書かれていた。このタイトルの「元気」という言葉は、活動的で積極的、元気はつらつ、という意味ではないことも、どこかで書かれている。
ぼくはこういう人生論を読むときは、必ず自分と対話している。「ここに書かれていることを、自分はどう思う?」 というふうに、これをきっかけに自問自答しながら、自分の考え方を確認するわけだね。
「そうだ、その通りだ」と思うこともあるし、「いやそうじゃないだろう。ぼくはこう思うよ」ってこともある。これを機会にして人生を考えるのは、とても大切なことなんだって思う。
この本の1つ目に「風に吹かれて」というタイトルの問答があって、「老後の生活で悩むことがあって、決断ができません」という問いに対して「風向きを感じながら、今日は西へ、明日は東へとフワフワと漂っていく、昨日言ったことと今日言うことが違っていてもいい」とある。
ぼくもそう思っている。
これはぼくの生き方そのものだった。時には好きなように飄々と風に吹かれ、でも時には「棘の道」とわかっていても、あえてその道を進んでいく。理論ではなく、直感的になんとなくこっちだよね、という生き方をしてきた。風にようにフワフワ漂えばいいんだと思う。
そして3冊目の「竜馬がゆく」これは以前に、司馬遼太郎「世に棲む日日」を読んだときに、この人の本は面白いとずっと思っていた。それが年とともに、歴史長編小説を読む根気がなくなってきて敬遠していた。でも少しずつでも読んでみようなかと思って手にしたのだ。
この「竜馬がゆく」は全8巻だから、どれだけ時間がかかるかわからない。でも、ま、いいじゃないか、むしろそのほうが楽しいだろう? 人生はとにかく、急がずのんびり行くこと。結果的にはそれが最後に笑える人生になるのだよ!
久しぶりに映画を観て、やっぱり映画は面白いなと思ったので、この流れで「ある女流作家の罪と罰」を観た。面白かった。話題の映画や有名な映画もいいけど、むしろあまり知られていない映画を観るのも楽しいものだなあ。映画館にも行ってみたいなあ。