9月3日の誕生日にツイッターとフェイスブックをきっぱりやめた。
どうしてやめることにしたのか、あえてブログに書く必要があるのかと思ったけど、記録のためにメモしておこうと思ったので書くことにした。
(ツイッターとフェイスブックについての個別批判ではないよ)
SNS、中でもフェイスブックはうまく作ってあるなあとホント感心する。特に写真を通して届く情報は新鮮で言葉以上に伝わるものが大きい。そしてこちらから発信する情報に対して「いいね!」やメッセージのレスポンスもすごい。だからついこの前まで僕がフェイスブックをやめるなどということはこれっぽっちも考えていなかった。
ところが、もうひとりの僕「潜在意識くん」はそうではなかったのかな、と今は思う。
7月中旬に北海道旅行に出掛けた。良かった本当に良かった。特に富良野の大自然、ファーム富田のラベンダー畑やお花畑に立って感じた「気」は特別なものだった。僕の心は大きく揺さぶられた。
今思うと、そこからこの流れが始まっていたのかもしれない。
夜はニングルテラスという森の中の可愛いログハウスの工房を回った。「この森にはニングルの家族が住んでいるので静かにしてください」という看板をところどころに見つけた。ニングル!? 住んでいる?
家に帰ってからさっそく図書館で「ニングル」(倉本聰)という本を借りた。ストーリーは「富良野市麓郷の奥に広がる樹海に伝説の小人ニングルたちの社会がある。彼らは森林破壊や情報氾濫の現代社会に警告しているという」これは表向きのことなんだが、もっと深い別の意味があると感じた。
この中で特に心を打たれた文章がある。
「人間は何でも知ろう知ろうとする。知識欲ちゅう人間の欲は、まァ何ちゅうか際限のないもンだ。わしはニングルの脳みそちゅうもンも本来は同じに出来とると思うンだ。只あいつらのわしらとちがうのはその知識欲を忌まわしいもンとしてぴしりと封じとる、そこだと思うンだわ」
「………」
「考えてもみなさい、色んなこと知ってさ、知った分人は倖せになっとるのか?」
「………」
つまりここで「知らん権利」という権利があるということが書かれていた。それ以来僕は「知らん権利」のことがずっと頭にあった。いろんなことを知って果たしてそれで幸せなのかと……。
確かに今まで僕は知識欲が強かった。でもそれは本能的な好奇心からだった。生きている以上、いろんなことを知りたい体験したいと思う。だから僕が興味を持つ情報はいろんなニュースソースやRSSやメール、さらにブックマークやSNSなどから自然と集まってくるようにしてある。
その中から自分のフィルターを通して、自分なりの解釈や加工をしてEverNoteやMarvel’s brainというノートにアウトプットしていく。こうしてできる僕の専用データベースの中から明日の新しい商品や企画を作り出していくのだ。そう信じていた。……いやいや、それは言い過ぎた。ま、情報というのはそういう部分もあるよということだけど。
でも、もう一度よく考えてみようと思った。はたして本当にそうなのか……。
ならば、考えるより実践しようと思った。少しずつ情報ソースを減らしていった。もちろんテレビやラジオも殆ど見たり聴いたりしなくなった。フェイスブックも少しずつ受ける情報(人)を減らしていった。
そんな矢先の8月12日朝。
突然、予期しない大きな出来事が起こった。
(ある事情でこのブログには書けないけど直接会った人にはお話ししましょう)
そのことがきっかけでどこからかだれからかわからないが、とにかく自分の人生を変えろと言われたような気がしていた。何と表現して良いのか言葉はみつからない。ともかく、生き方を変えろと強く言ってる。それは神様なのか、何なのかはわからないし、それはどうでもよい。でもとてつもない大きな力を感じた。
その日から極端にお酒の量を減らした。不健康な生活をまず改め始めた。そして気になっていた「知らん権利」、さらに情報ソースを減らし続けた。一方では自分が今まで情報を集めることやフェイスブックなどのSNSに対して依存症になっていることも知っていた。でも先に書いたようにそれは僕にとって重要なことで必要なことと信じていたことだ。だから心の葛藤も続いた。
しかしあの天の声のようなものは、それをも変えろと言っているのだと気が付かされた。毎日どんどん押しよせる情報の洪水の中に、おまえが本当に必要な情報などあるわけがないのだと、そこまで言うのだ。わかった。わかった。あなたがそうまで言うならその通りにしましょう。僕はとても素直になった。
そして9月3日。僕の3回目を迎える二十歳の誕生日だ。
ついにツイッターとフェイスブックをきっぱりやめた。その他の情報もすぱっといっさい切り捨てた。しーんと静まりかえっている。
初日の朝から行動が変わった。まず会社に来てすぐ仕事場の大掃除を始めた。徹底的にきれいにした。今までなら情報のチェックをしていた時間がゼロになったことでなぜか掃除をしようと思ったのだ。いや、掃除がしたくなったのだ。掃除がしたくてたまらなくなったのだ。
そして今まで気が付かなかったのだが、僕のまわりにはいらないものがいっぱいあった。それをどんどん処分し始めた。こんなにいらないものがあっても平気だったとは……。おかげで頭の中も僕の周りの環境もどんどんすっきりしてきた。こんな気持ちを今まで感じたことがない。
3日たった今日感じていることがある。30年前にヘビースモーカーだった僕が、きっぱりタバコをやめた時と同じ気分だ。あの時も天の声でタバコをやめろと言われた。タバコをやめたことですっかり人生が変わった。全てが良い方に進んでいった。あのときと全く同じ気分だ。
今日の午後は、仕事の合間に勉強をしながら、Marvel’s Brainというノートにこれからの会社のことを書き始めた。なんだかいつになく楽しかった。
これからは「自分が自分らしく生きていくために、何をすべきか」を考えよう。そのためには自分が自分のための時間を作ってあげることから始めよう。つまり天の声が言いたかったのはそういうことなんだろうなあ。違いますか〜?
(今のところ返事なし。ひょっとして天の声というのはニングルだったのかもしれないな)
ツイッターのどこが問題だ。フェイスブックの何がいけないのか。そんな個別のことにはあまり興味がない。情報の洪水に慣れきってしまっていて、それどころかさらにSNSを覗けばミクロの情報までどんどん飛び交っている。そんな中で毎日を送っているわけで、本当にいいの?幸せなの?と思う。
「次から次へ洪水のように流れて来るいろんな情報!? そんなの、もういらね〜よ」
そう思っている人って、きっと僕だけではないよね?
でも問題はそれをきっぱり切れるかどうかだと思うよ。それが今の時代の病なんだと思う。