正しい立ち方、歩き方を学んだ
毎朝の散歩を始めて2週間になる。最初にこの公園に行って、日陰で軽く運動やストレッチングをしてから歩き始める。まだ距離は短いけど歩くのは気持ちがいいものだ。
ただし、最近になって足の裏が痛いのが気になり始めた。こんなことは初めてだ。歩き方が悪いのだろうか? それとも最近は部屋の中で立った状態で、本を読んだりギターを弾いているので、その姿勢が悪いのだろうか?
そこで調べてみることにした。
するとこんな動画が見つかった。これだ!
まずはこの前編では立ち方の姿勢のことを理論的に教えてくれた。親指を少し上げることで重心がかかとの外側に来る。その正しい重心で立つと耳の位置と肩の位置と股関節がほぼ一直線になる。
なるほど、こんな姿勢で立つのがいいんだね。ぼくは全然違っていた。
さらに後編では正しい歩き方「魔法の歩き方」を教えてくれた。なるほどかかとから着地しないで、足の裏全体で着地する。地面を蹴らない。
膝をまっすぐ上げて、前にものを持ってそれに引っ張られるように、つまり身体を前に傾けるだけで勝手に前に進む。あくまでも重心は踵に置く。これはわかりやすい。
さっそくこの方法で立つ姿勢を保ったり、散歩するようになったら、あっという間に痛みが消えた。凄いなあ。
とはいえ朝から猛烈に暑い。日傘を使っていても暑い。それほど長い時間ではないのに家に帰ると汗びっしょりだ。そこで今週になって新しいルーチンを1つ増やした。
それは冷水シャワーだ。最初は無茶苦茶冷たいけどすぐに慣れる。そしてシャンプーして身体を洗ってしばらく冷水シャワーで身体を冷やす。頭はドライヤーを使わなくても自然乾燥で乾いてしまう。
お陰で朝からスッキリして朝食もおいしい。それに最近メッキリ体調もよくて気持ちも元気でいられる。夏バテなんてまったく感じないのだ。去年の夏と比べるとこんなに違うとは……。日々の習慣ってあらためて大事だなって思う。
大いなるものの存在
ま〜、これも「中性脂肪で「E」判定。さぁどうする?」がきっかけだったんだけど、以前「大いなる何かに導かれている」で書いたように、ことあるごとに大いなるものが、ぼくに「流されて生きていくのではなく今を生き切ろ」と言ってくる。
それはもちろん声ではなく、ぼくの心に伝えてくるんだね。今回も定年してからの半年間の生活のことを、健康診断の結果でなんとかしろよと伝えてきたんだと思っている。
三重県へお見舞いに行ってきた
そして今日は三重県松阪市のホスピスに入院している、93才になるカミさんの父親のところへお見舞いに行ってきた。ホスピスとはどういう所かはわかっていると思う。
その父は随分やせ細っていたが、決して弱気なことや愚痴はひとことも言わずに、今の入院生活のことを話してくれた。そして持っていったひ孫や家族写真を何度も何度も繰り返し見ながら、笑顔で看護婦さんに4人のひ孫を見せて自慢すると喜んでくれた。
この病院では面会時間は10分以内と決まっているが、時間になったら声をかけると言って、看護婦さんが部屋から出ていった。結局30分ほどで部屋を出たが、ナースセンターで看護婦さんが「わざわざ遠くから来ていただいたので」と気遣ってくれた。
今を生き切る
生きるということ、そして「今を生き切る」ということについて、あらためて思う一日であった。その意味でぜひこの動画を観て欲しい。
この「大いなるものに生かされている」というのは、決してりっぱなことを成し遂げた人のことを言っているのではないと思っている。
誰しも「あの時、あのことがあったことが人生のターニングポイントだった」と思うことがあるだろう。つまり、それが「自分の人生は、大いなる何かに導かれている」ということなんじゃないだろうか。
そういうぼくは「今を生き切っている」のだろうか? 本当にぼくは今を生き切っているのだろうか?