「ほぼ日5年手帳」を使い始めて今年で4年目になる。そもそもぼくが「ほぼ日手帳」を使い始めたのは14年前からだ。でも毎年1冊よりもこの5年で1冊のほうが面白いと思ったので変えた。
なぜかというと過去の同じ頃に自分が何をやっていたのか、何を感じていたのがわかるからだ。その日に何があったかは「記憶」には残らない。でも日記を書くことでその「記録」が残る。
今この時期は正月明けだが、なぜか毎年書いていることがあって、それが笑える。何かというと「痛風」のことだ。
・3年前の1月6日には「痛風だ! ビールをやめてハイボールにする」と書いてある。
・2年前の1月6日には「夜中も水をたっぷり飲んで、1時間おきにトイレに行くが痛みはなくならない」と。しかも「今年もビールからハイボールへ」と書いている。
・1年前の1月6日には「過去2年は痛風だったけど今年は今のところない」と。
・今年は数日前の日記に「痛風の兆しがきたので、2日間水をがぶ飲みして乗り切った」と書いている。
ようするにこの時期は毎日昼間っからお酒を飲む生活になっているので、必然的に「尿酸値が高くなる」すなわち「痛風の発作」が出やすくなるのだ。
しかもだ。痛風なら酒を止めればいいのに「ハイボールにする」と言ってるし、痛風の兆しがあっても酒を飲んでいるというアホさかげん。まったく呆れるよね。笑
痛風の痛みは実際に経験した人にしかわからないだろう。とにかくものすごく痛い。もちろん歩けないし寝てても痛む。「風が吹いただけで痛みを感じる」それが痛風の由来らしい。
ぼくはその対処法として、足の先にその僅かな前兆を感じたら、水やポカリスエットをとにかくガブガブ飲んでプリン体を体外に放出するのだ。
その方法で今年は事なきを得た。などと自慢しているが、そもそも飲まなければいいだけのことだ。わかっちゃいるけどやめられない♪ 困ったものだ。
ま、痛風の話は別として、話は戻るがほぼ日手帳にはその名の通り「ほぼ毎日」書いている。人間の記憶なんてたかが知れていて、すぐに忘れてしまうものだ。去年のあるいは3年前の今頃は何があったのか? まったく覚えていない。
でも、日記を見ればそれがわかる。しかもヘタな小説よりずっと面白いのだ。ブログもある意味日記としての記録なんだけど、毎日ではない。毎日書くということは、毎日読むということ。それがどんどん溜まっていくのだ。
よく「最近はだんだん1年が短くなった」ということを聞く。それはどんなことがあったのかが歳とともにあまり記憶に残らなくなるので、短く感じてしまうからだろう。でもあんなことやこんなことがあったなあとわかると、けっして短いなどと感じることはない。2020年もぼくは長い一年だったなと感じている。
「ほぼ日刊イトイ新聞」に「はげはげ日記」という毎日絵日記を書いている94歳のおじいさんのことが書かれていた。これは「はげまして、はげまされて~93歳正造じいちゃん56年間のまんが絵日記~」という面白い本で紹介されている。
このおじいさんは毎日57年間、2300冊のノートに絵日記を描いている。もともと絵を描くのが好きで漫画家になりたかったと言っている。とにかく好きなことだから続けられるんだよね。
でもこんな風に人に見せる目的じゃなかったと言っている。ぼくもそうだけど、もし日記を人に見せることを前提に書いていたら、ちっとも面白くないだろうなと思う。これはただの「日誌」でしかない。
だから、ぼくが自分の日記を読んで小説より面白いと思っているのは、自由に人に言えないことを書いているからだろうなって思う。たぶん、この日記はこれからもずっと続けていくだろうなあ。