先日は断捨離のために、クローゼットの中を徹底的に整理整頓した。さらにギターを壁掛けにして、部屋の有効スペースを広くした。
そしてお盆休みに孫たちが遊びにくるので、そのためのレイアウト変更や準備をいろいろやってきた。そのお陰でこんなにも部屋がスッキリした。
本当は "奇想天外" な部屋が好き
ただし、あくまでも部屋をキレイにするのは家族を迎えるためのものだ。
では、ぼくがこのスッキリ片付いた部屋にいてどう思うか? ……正直言うと「もの足りない」の一言だ。ぼくは元々おもちゃ箱をひっくり返したような部屋が好きだ。
あえていうなら、今から4年ほど前のこの部屋が一番居心地がよかった。ぼくがいる周りは、とにかくいろんな物に溢れていて、でもそれぞれの存在が光っていたんだね。
これでもまだ片付いている方だけど、とにかくここにいるととても落ちつくし、幸せな気分でいられたのだ。
いやそれどころか、本当はまるで映画に出てくるような、一歩中に入ると奇想天外な世界の中に入ってしまうくらいの、面白い部屋にしたかったんだけどね。笑
ところが、この窓側のお気に入りの壁を取っ払ったのは、窓を二重サッシにするためだった。北向きの部屋なので、夏はともかく、真冬の寒さは耐え難いほどだったからだ。
これがなくなったのは、とても残念だったけど、そのお陰でこれ以降は真冬でも、とても快適に過ごせるようになった。二重サッシにして本当に良かったなと思っている。
クローゼットの中にいるモノたちとの会話
突然「何?クローゼットの中にいるモノたちとの会話だと?」と思われるかもしれない。ぼくは時々こんなふうに、クローゼットの扉を開放したままにしておくことがある。
その理由はというと、ここからのメッセージが届くようにしているのだ。
というのは、ここにあるモノは、ぼくが好きで集めてきたモノばかりだ。だから、そこからの声が聞こえてくることがある。(何を言ってるのだ、と思われるかな?)
「そろそろコーヒーの焙煎したら?」とか
「最近ぜんぜん使ってないね?(3Dプリンター)」とか。この扉を開けておくことで、何か新しい行動が生まれるキッカケになることがあるのだ。
つまり、ここにいるぼくの好きなモノたちは、常に「ぼくに何かを語りかけようとしている」と、思っているからだ。締め切ってしまうと、それが届かないんだね。
あらためて、大切なモノたちを復活させてみた
今日もクローゼットを開けっ放しにしてて、こんなモノを見つけた。これは「体力の正体は筋肉」という本を買ったことがキッカケで始めた、ローイングという器具だ。
簡単にいうと「ボート漕ぎ」の運動のことだね。ローイングで全身の70%の筋肉が動員され、その機能が高められるというもの。さっそくまた始めることにした。面白いよ!
そして「ガラスペンとインク」も殆ど使っていなかった。道具は、ただ飾っておくだけじゃ全く価値がない。使ってあげることで初めてその力を発揮するんだね。
まだあったよ。同じくクローゼットの中で眠っていた「ホルベイン・全150色セット」も、使わなくなっていた。本当にこのままじゃ存在価値がないし、もったいないよね。
ということで、さっそく身近な場所に置いて、これからは時々でいいから、気軽に絵を描いていくことにしよう。
ハンニバル・レクター博士の言葉
さてここまで書いて、あらためて思ったことがある。
道具というのは「必要になったから、引っ張り出してきて使う」というだけのものではない。むしろ「そこに存在している」から、使おうという気になるものなんだと……。
映画『羊たちの沈黙』の中でハンニバル・レクター博士はこう言った。
『欲望というのは自存するものではなく「それを満たすものが目の前に出現した時に発動する」のである』と…。確かにそうだと思う。
自分が何を欲しているのか、じつは自分ではよくわからないものだ。
ところが、何かのきっかけで、目の前に現れた物をみて「そうだ、ぼくが欲しかったものは、コレだったんだ」と気づくことがある。
まさにあのレクター博士が言ったことは、そのままぼくたちの暮らしに存在する。もし興味がないものだったら、心は簡単に動かないからだね。
モノは使って初めて「その価値」が生まれるのだ
それからこの大好きなトランシーバー「KX2」も、収納バッグに入れたままクローゼットの中で眠っていた。当然だけど、目にすることがなければ存在しないと同じこと。
このKX2は小型なので、手軽に移動運用で持ち運ぶために、用意したトランシーバーだ。でも別に移動運用じゃなくても、普段からCWの練習機として使えばいいよね。
同じくこの「RX100Ⅴ」や「Z fc」も、最近はさっぱり使うことがなく、殆ど使われずに眠ったままだ。それどころか、撮影はというとiPhoneですませてしまっている。
その原因は、やっぱり見えない所に隠れたままになっているからだ。カメラたちは、ぼくたちをもっと外に連れ出して使って欲しい!そう思っているに違いないのだ。
それにこのフェンダーギターだって、今やすっかり「部屋の飾り物・インテリア」となっている。まあそれも存在価値なのかもしれないが、本当にもったいないと思う。
こうしてあらためて耳を澄ましてみると、みんなが「もっとぼくたちを使ってよ!」、そう言っている気がしてならない。
話は変わるが、ちょうど一年ほど前に、こんなことを書いたことを思い出した。
物買う、自分買う
このYouTube動画は、故・永六輔さんが京都を旅した動画だ。その中で「河井寛次郎記念館」に立ち寄った話をしてくれた。
そして河井さんの書にある、とても大切な言葉のことを教えてくれた。その部分から再生できるようにしてある。
永さんがこの動画の冒頭で「物を買う 自分を買う」という言葉のことを教えてくれた。
それは「物を選ぶということは、自分を選ぶということ」、「ものを作るということは、自分を作るということ」。これは本当に深い話だなあ。いい言葉だなあ。
そしてこれを観て、ぼくは自分の部屋について、こんなふうに感想を書いた。
この部屋にはぼくが買ったものがたくさんある。それはぼくそのものを選んできたのだ。そしてぼくが作ってきたものは、自分を作ってきたのだ。
全くその通りだと思う。
自分が選んだモノを使ってあげて、初めてその価値が生まれるのだと思う。ぼくの場合は、買ってしばらくは夢中になって、その使い方を覚えて使うことを楽しんでいた。
ところが、それが続かない。それどころか、どこかの奥の方にしまい込んでしまったら、その存在すら忘れてしまうのだ。これぢゃあダメだよね。
居心地の良い部屋は、どういう部屋なのか
ちなみに、これがつい最近「部屋のリニューアル」をしたばっかりのぼくの部屋だ。確かにスッキリした部屋だし、外からの「良い気」もいっぱい入ってくる。
でも、正直言って「理想の部屋だ」とは感じていない。ぼくの過ごしたい部屋は、かつて毎日楽しく過ごしていた、4年前部屋に作ったこの部屋だ。
この部屋でぼくは好きなモノたちに囲まれて、好きなことを好きなだけ楽しむことができた。けっしてキレイではないが、ここにいるモノたちが、ぼくにいつも語りかけてくれた。そんな心が通う素敵な部屋だったんだね。
おそらくまたこんな部屋をつくるとしたら、これとは違うコンセプトで設計しなおすと思うけど、今年はじっくりいろいろ計画して、理想に近い部屋作りをしていこうと思う。
楽しみがまた増えたぞ!