帆船模型作りも船体作りがほぼ終わった。
いよいよ次の工程に入ることになる。その最初は甲板(デッキ)上のパーツ作りからだ。後部デッキの格子作りや、大小のカーゴ・ハッチの組立て、キャノン砲、旋回砲、前部デッキのハッチ、やりだしビット、後部マスト・ビット、後部デッキ・ピンレールその他、急に細かい作業になってくる。
帆船模型作りのいわば醍醐味といえる工程に入っていくのだ。しかし、これは大変そうだなあ。なんかワクワクするというより、ちょっと憂鬱な気分にもなってきた。
帆船模型作りも6月から作り始めてもうすぐ7ヶ月になる。
いったい、これが本当に楽しくてやっているのか、なんのためにやっているのか。正直言ってわからなくなってきた。すごく楽しいとも思えないし、かと言って嫌々やっているわけでもないし。それにこれが完成したからと言って、どうなるということもない。
こんなことを言ってもなんにもならないけど、そんな気持ちにもなってきた。ただ、ここで投了するわけにはいかないだろう。今はそれしかないな。(変かな?)
そんなこと思いながらカーゴ・ハッチ作りにかかった。
3種類の木板を切り出して、組立てる。そしてそれぞれの端に1mmの穴を開ける。そして金属のピンを短くカットし、あらかじめ金属パーツの輪っかの部分をカットして黒く塗装したリングを通し、ピンを曲げ、1個1個差し込んで接着していく。
これは一見大したことはないように見えるが、ぼくにとっては恐ろしく細かい作業だ。外科手術を行っているような作業が38個も連続する。あ〜、こういうの苦手。
というわけで、甲板上に取り付けたカーゴハッチ類。なんとなく、帆船模型としての姿がそれらしくなってきた。
ともかく、根気がいる。なので、せいぜい一回20分が限界だ。それ以上やるのは苦痛になってくる。それを時間をおいて何回か作業をするが、そんなに嫌ならやめればいいのにとさえ思う。
それはギターの練習も同じだ。
最近始めた「君をのせて」という曲は中級程度の難易度だ。でも、最初から弾けるわけではない。とりあえず、2小節が精一杯で、これを練習を繰り返しやって、ある程度マスターしたら、次の2小節の練習を繰り返す。
それを少しずつ長く弾く練習になっていくのだが、これはとても根気がいる練習だ。
しかも、次の日になると、前にやったことができなくなっている。それでもまた最初から練習をする。そうすると、前よりは早くできるようになる。そうなると少しだけ楽しい。
そんなことの繰り返しなんだけど、とにかく短い時間でもいい。あきらめないで、毎日少しずつでも練習をすること。それがマスターへの唯一の道なんだと思う。これは帆船模型作りもまったく同じことがいえる。
いや、考えてみたら、人生はすべてが根気よく、たとえ短い時間でもいいから、練習や勉強や仕事を積み重ねていくこと。それが結果的によい人生につながっていくのだと思う。
つまり、今のぼくは「過去のぼくの積み重ね」だ。ぼくの後には2万人(日)以上のぼくがいて、その一人ひとりが今のぼくを作っているんだなと実感する。
それはわかる、でも楽しくない帆船模型作りや、地道なギターの練習をしていて、これがなんのためになるのだろうか。これが自分の人生にとって、いったいどういう意味があるんだろう。
こんなことを感じてから、夕方本屋に行ってこの本を買った。
「君たちはどう生きるか」というマンガ本だ。
一気に読んだ後、ぼくは無性に走り出したくなった。
いてもたってもいられない気持ちだ。
ぼくの人生をどう生きるか。
帆船模型作りも、ギターの練習も、アマチュア無線の挑戦も、そしてこれらのことをブログに綴ることも、そして、仕事を通じてぼくが活動している全てのことも「どう生きるか」というテーマのぼくの答えなんだと思う。
人は、自分の行動を自分で決定している。
その結果、苦しいことや辛いことがあるかもしれない。辛いと感じるのはそれが正しいことだと思って行動した結果だから。自分で決めたことだからこそ、それを乗り越える意味があると自分が知っているからだ。
つまり、どう生きるかは自由だ。でも自分が決めた人生というのは、自分はこうなりたい。そう思って決めたはずだ。
帆船模型だって、きっとこんな細かい工作は大変だし、自分に向いてないと思う。でも、だからこそこれに挑戦して成し遂げる価値はある。そう思って始めたはずだ。
ギターの練習だって、アマチュア無線だって、仕事だって、すべてがぼくが決めた生き方の結果なんだと思う。
もっと言えば「今の気分」でさえ、自分で決めているってことだ。
あ〜、大変だけど楽しいなあ〜。と思うのか。
あ〜、めんどくさいなあ〜。と思うのか。
その思いの違いは自分で決められるし、その思い方で180度その先の気分が違うということがわかる。
考え方ひとつで、全てのことへの対し方が変わるものなんだなあ。良い本に出会えたなあ。
P.S.
「走り出したい」と書いたが、実際のこのストーリーでは、おじさんがコペルくんの話を聞いて、じっとしていられなくなり、走り出すというシーンがある。
そのことで思い出したことがあるので、ここに書こう。
今から5年程前に会社の20周年記念のイベントをやった。その時に記念コンサートで2人のシンガーソングライターを招待した。その後打ち上げで飲み明かしたのだが、後日その女性シンガーソングライターからメールが届いた。
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お二人のやってこられた事、いまやっておられる事を垣間見ると、私は何だか走り出したいような気持ちになります。
うまいたとえになっていないし、伝わりにくいかもしれませんが、私には、アウベルクラフトという飛んでる飛行機を見ているようです。
色んな場所へ飛ぶための、アイデアと装備の探求。その積み重ねの20年。
積み荷には、楽しさがいっぱい。
絵を見たり、音楽を聴いて、走り出したい気持ちになることがたまにあります。それは「まるで生きているようなもの」を人の手で作り出した感動、衝撃を受けるせいだと最近思います。自分の見ている世界の姿を変える出会いです。
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この気持ち、わかるような気がする。
走り出したくなるような感動や衝撃を受けると、人はじっとしていられないのだ。もう一度、そういう装備をしなくてはと思う。