昨日はとても春らしい良い天気で絶好の散歩日和になった。散歩のコース途中には「旧愛知県第二尋常中学校講堂」という明治村にありそうな古い建物がある。明治時代のピンク色のオシャレな建物は、国の登録有形文化財でもある。
説明をみると、この建物は明治30年に建てられたもので「愛知県第二尋常中学校」、現在の「愛知県立岡崎高等学校」の講堂だった。その後は日清紡績針崎工場内にある女学校の講堂として使われていたそうだ。
ここから話は少し横道にそれるのですんません。
この春咲地域という巨大な住宅街は元々「日清紡績針崎工場」があった場所で、ぼくも以前はテントシート部門の仕事で工場内によく来たことがある。
当時の工場内には巨大な機械がたくさんあって、日本の繊維産業を支えていた。その工場が時代の流れでなくなってしまったのだね。
そしてぼくが経営していた会社の前身は「東光繊維工業」という紡毛紡績(羊毛)の会社だった。兄の誘いでぼくは名古屋でのシステム設計の仕事から一転、この岡崎の紡績会社に移り、会社の立て直しに協力することになった。
しかし数年は経営というより現場に入り、毎日原料倉庫や工場に入って、汗と油にまみえる仕事をした。ほんとうにしんどかったなあ。というより正直いって後悔していた。なんのためにここにやってきたのかと…。
その後、テントシート等の縫製加工 → オートキャンプ用タープ〜トートバッグ製造販売 → アウトドア用燻製キット等の手作りキット製造販売 → 囲炉裏、露天風呂、石窯、ビール・ワイン、コーヒー焙煎などありとあらゆるキットの製造販売へと発展していくのだが、紡績業当時の苦しみに耐えたことでそれができたと思っている。
(深喜毛織紡毛糸工場の動画より)
紡績業時代の工場内にはこんな巨大なカードという機械が何台もあり、良い糸を作るために、毎日これらを分解して針掃除をやる。大変な重労働だった。そしてこの機械でできたシノという毛糸状ものを、次のミュールという機械に移動させ、撚りをかけ糸にしていくのだ。次の動画でそれが解説されている。
今もこの工場は残っているのだろうか。ぜひこの貴重な動画を観て欲しい。ぼくの会社も同じように、カードとミュールという機械が何セットかあって、毎日24時間3交代で何トンもの糸を作っていた。この動画を観るととても懐かしく感じるなあ。
岡崎市は昔からの紡毛紡績の産地で、たくさんの紡績工場があったが、中国から安い製品がどんどん入ってきて、構造不況になり消滅していった。その苦しさのド真ん中を体験してきたが誰も助けてはくれない。
時代の流れと言えばそれまでだけど、この国にはこういうことがこれからどんどん増えていくのだろう。
そして話はここにつながるのだ。
今日の散歩の目的地は、この石窯パン工房「フランボワーズ」だった。久しぶりにここのおいしい石窯パンが食べたいと思ったからだ。
すると店の入り口に「閉店のお知らせ」という張り紙が貼ってあった。よく見ると「老齢のため2月20日で閉店します」と書かれていた。えっそうなのか!? 残念に思って店内に入るともっと驚いた。
パンの陳列があまりにも少ない。4種類くらいしかない。しかも数はちょっとだけ。選ぶほどではないけど、せっかく来たのでせめて2つくらいは買って帰ろう。
レジに行くと、工房から奥さんが出てきたので、お金を払いながら「お店をやめちゃうんですねえ。老齢って何才なんですか?」と聞いてみた。
すると奥さんは「私に年を聞くんですか?」と笑いながらいう。あっ失礼しました。その後の会話で年は74才だという。「この年になると身体がついてかないのね。それ以上に頭がついてかないの」と笑いながら話してくれた。
そして、ご主人が焼き上がったパンを運んてきたが、奥さんが「ごめんなさいね。今はほとんど予約のパンをつくるのが精一杯で、お店にちょっとしか置けないの」と侘びていた。なるほどそういうことなんだねえ。
74才というとちょうど団塊の世代で、日本の発展に貢献してきたこの世代の経営者たちは、後継者問題で次々と廃業していくのだ。
2025年は大廃業問題の年だと言われている。中小企業の経営者が後継者がいなくて、やむなく廃業せざるおえないという。そういうぼくたちもその当事者なんだけどね。
そして、この石窯パンのお店のように、街の大切な文化であり、貴重な財産でもあるお店がどんどん消えていき、残るのはチェーン店のような味気ない店ばかりになってしまう。そう思うと、なんだかやるせない気持ちになる。
家に帰って、この貴重なパンをいただいた。本当においしいね。こんなおいしいものがなくなってしまうなんて残念だね。そういいながらじっくり味わって食べたのである。