仕事を退職して1ヶ月ほどたった。今日はぼくの定年後のことを書いてみよう。「定年」「引退」「老後」「隠居」「リタイア」「第二の人生」、呼び方はいろいろあるけど、なんだかどれも侘しさを感じる言葉だよねえ。
定年後のライフプラン
ここに「定年後」という本がある。いつ買ったかのは覚えていないが、この本のプロローグに定年後のライフプランの多くはこんな内容だという。
その内容は次の4点だ。
① 老後の資産管理
② 配偶者との良好な関係
③ 体調、健康について
④ 趣味を持て
そして著者は実際は簡単ではないし、定年時点から心機一転、新たにスタートというわけにはいかない。40年近く組織で働いてきた人間なのである…という。
さらにはこの本には数々のデータや現実の事例が書かれていて、読めば読むほど気持ちが暗くなるし、参考にならないので読むのをやめた。
ちなみにぼくの場合は、今のところお陰さまでこれらの心配はないから感謝しないといけないが、これがずっと続くという保証はない。現実は本当に厳しいものなんだろうと想像できる。
みんな居場所がない
最近になって、運動不足解消のため週に2、3回かみさんと散歩をしている。ただ歩くだけよりせっかくなら目的地を決めて歩くことにしている。
昨日(金曜日)の散歩の目的地はシビックセンターの中にある図書室だった。中に入ると高齢者、とくに男性がたくさんいて新聞を読んだり、本を読んだりしていた。行くところがないのでここで過ごしているのだろうか。
そして館内にある広いカフェは平日の11時過ぎで、遅いモーニングなのか早いランチなのか、年寄りの男女で50ほどある席がほぼ満席、その光景に正直驚いたが、ここに来るのが楽しみなんだろうね。
今日は本屋に行くと、多くの高齢者が店内の椅子に座って本を読んでいた。みんな居場所がないのだろうか、これが現実なのかと思うとなんだか複雑な気持ちになる。
いくらぼくがそれじゃだめだろうと思っても、これが現実なんだよね。みんな自分の家ではない他の居場所を求めているんだよ。
今日は買ってきた「定年ゴジラ」を読み始めた。
開発から30年、年老いたニュータウンで迎えた定年。途方に暮れる山崎さんに散歩仲間ができた。……まだストーリーは始まったばかりだけど、この4人の定年ゴジラの背中が何を語っているのだろうか。。。
本屋の新書コーナーには「定年」とか「人生の下山」とか「いい人生の最期」「終活」など、こういうタイトルのハウツー本がとても多くなった。それだけ多くの人の関心が高まっている時代なんだろうね。
ぼくもこれらの本を読むことがあるけど、そういうこともあるんだね、くらいにしか思わない。殆ど参考にはならないなと思う。
正直言って、最終的には自分で自分の人生を切り開いていく。自分の考えで人生を生きていく。そうしないといけないと思うんだよね。
そんなことわかってますよ。でもそれができないんです。これも現実なんだろうなと思う。。。これじゃきりがないよね。
ぼくの定年後の暮らし
さて前置きが長くなったけど、定年後一ヶ月の暮らしでどうなったのか、今日はそのことを書いてみようと思う。
一番変わったことは何かといえば、やっぱり「時間がたっぷりできたこと」だ。1日は24時間、そのうちの仕事の時間がなくなったので、毎日の自由時間が8時間から16時間に増えた。まあ、しいて言えば変わったのはこれくらいだろうか。
だからと言ってテレビの前でボーッと過ごすなんてことはない。居場所がないということもない。もちろん定年だからと言って始めようと思った趣味はなく、以前から楽しんでいることをやっているだけだ。つまり定年後は特に変わっていないってこと。
アマチュア無線、移動運用、ピアノとギターの練習、JAZZを聴きながらの読書、NHKオンデマンドや映画の鑑賞、アクアリウム、パン作り、そして散歩、キャンプ、他にも今年は写真撮影も色えんぴつ画も再開しようと思うし、低山ハイクや料理もしたい。
そして、これまでのように、新しいことを学び始めたり、新しいことにチャレンジしたり、旅行や美術館・博物館巡りなど、幅広くいろんなことをしていこうと思っている。
「定年」で人生が変わるということはない
とにかく「定年後」だからと言って、人生が新しく変わるということはない。暮らしが変わるというのは「人生が変わる」ということでもなんでもない。
ましてや「第二の人生」そんなものはない。人生はたった一つだけのものぢゃないか。これまでやってきたことの積み重ねで、その先にやることがみえてくる。そして生活の時間配分に余裕ができる、そういうことだと思う。
だから何も特別なことではなく、これまでのように、自分が思うように人生を楽しんでいけばいい。「今までしっかり働いたから、これからたっぷり時間をあげよう」……神さまがそう言ってぼくにご褒美をくれるんだと思っている。
自分という人間はたった一つであり、人生も一つであり、どう生きるかも変わらない。というか、この年になるまでに、それを形成できていないといけないのだと思う。
自分はどう生きるのか
どういうことかというと、自分はどう生きるのか、なんのために生きるのか、なんのために仕事をするのか、その哲学を自分の中に持つことだと思う。
ぼくの場合は「人生は自分を進歩させるためにある」→ 「進歩すると楽しい」→ 「仕事も趣味も進歩すると楽しい」、それが根本にある。(ぼくの信条)
会社にいるときは「会社をどう進歩させようか」といろんなことを考え実行することで、毎日楽しくて仕方がなかった。
それは趣味でもまったく同じだ。だから仕事をやめたとしても、根本にあるものは変わっていないので、人生が変わることはない。そういうことなんだね。
もし人生がこの定年をきっかけに変わると思うなら「今までの自分はなんだったのか?」「今まで何をしていたのか?」ということになってしまう。
若い人たちへ
若い人たちに伝えたいことがあるなら「自分の人生をどう生きるかを、若いうちに学び、体験し、それを若いうちから築き上げる努力をすること」だろうと思う。
定年後になったら新しい人生(生き方)を始めようと思っているなら、たぶんそれはできないと言っていることと同じだ。
若いうちに人生を通してやりたいことを始める。人生をどう生きるか、なんのため生きるのかを考える。そういうことじゃないかなあ。
偉そうなことを言ってしまったけど、だからと言って、ぼくがこれらをちゃんとできているなんてことは全くない。ぼくもまだまだ未熟者だと思っている。
それに、そういうことをしたくてもできない人もたくさんいる。そのこともちゃんと知っている。だからと言って現状維持ではあかんと思う。
それでもぼくは、毎日少しでもいいから、自分を進歩させるために生きていこう、それをいつも頭において前に進んでいきたい。そう思っているんだね。