明日は久しぶりに「移動運用 & デイキャンプ」に出掛ける予定だ。そのキャンプ場は「三河高原キャンプ村」という我が家から車で1時間ほどで行ける場所にある。実はこのキャンプ場には特別な思い出があるので、今日はこの機会にそのことを少し書いてみようかなと思った。
これはぼくと兄が創業した「アウベルクラフト」という会社を始めるきっかけとなった、カーサイドタープ「イーグル」と「サバンナ」のパンフレットだ。
今から30年前の1992年のもので、この写真は「三河高原キャンプ村」で撮影したのだ。本当に懐かしく思う。実はこの日は天気は良かったけど風が強く、撮影するのにとても苦労したことを覚えている。ここから始まって30年、よく今日まで来れたなと思うが、今年いっぱいで会社を畳むことにした。
ぼくたち兄弟は70才になったら、まだ元気なうちにそれぞれのやりたいことを始めようと決めていた。そのためにぼくたちがいなくても会社をやっていけるように、社員の教育やその他の準備を重点的に行ってきた。
しかし、結局はこの会社は商品を販売することより、後々のフォローの方がとても重要だとわかった。ところがこれらの難しいノウハウは簡単に伝授できることではないこともわかったのだ。
そこで今から6年前に従業員4人を解雇し、商品の約6割を廃止して、残った商品で兄弟二人しかも週休3日でのんびり運営してきた。つまりこの時から廃業のための着陸態勢に入ったことになる。
そして今から2年前に兄が70才になって退職し、ぼくは来年の9月に退職し廃業する計画だった。ところが9月というのはとても忙しい時期で、多くの人に迷惑をかける可能性があるため、一番暇な時期(今年の年末で)ひっそりと会社を畳むことにしたのだ。
ただ一つ、思い入れのある商品、そしてアウベルクラフトの代名詞ともなった「コーヒー焙煎キット」だけは、あるお店にバトンタッチすることになっているので、この先も販売を続けられる。これだけは残せて良かったなと思っている。
兄は木工が大好きで、自宅の庭にりっぱな工房を作り、プロ並みの設備を揃えて楽しんでいる。ぼくは以前から話しているように、小さなカフェを作ってお客様に自らコーヒーを焙煎してもらったり、気楽に集まれる憩いの場所にしたいと思っていた。
でも現実はそんなに甘くはないのだね。その計画は全く進みそうもない。なのでその時が来るまでただひたすら待つということになりそうだ。実現できなければそれでいいとも思っている。
ある人に「会社は始めるより畳むことの方が難しい」と聞いたことがあるが、今自分がその立場になって始めてその重さを感じている。そして人生も同じで、年をとって老いていくこととどううまく付き合っていくのか。そのことを今この時期にとても強く感じているのだ。
表向きには多くの趣味を楽しみ、孫たちと楽しく遊び、好きなものを食べて、好きなお酒を飲んで、特に病気もなく、好き勝手に気ままに生きているように見える。でもそんなに単純じゃないんだなとこの年になって思うのだ。
ということで、この機会にぼくたち兄弟がこの会社を作ってからの20年(今から10年前)のことを書いた記事があるので、ここに載せておこうと思う。
いろいろ大変だったけれど、今思えば本当に楽しい時代だった。それぞれのことを書いたら1冊の本になるくらい、いろんな苦しいこと、辛いこと、楽しいことがあった。
でも、ぼくにとっては過去のことでしかない。ただ、そういう一つひとつのことが今のぼくという人間を作っているのは間違いない。この先の人生はまた新しい気持ちで、今まで好んで進んできた棘の道ではなく、できるだけ楽しい人生を送っていけるような、ゆるやかな道を選んで進んでいこうと思う。
こんにちは、マーベルです。 アウベルクラフトを始める前の柴田bros. 僕マーベルは大学卒業後、名古屋の電機会社に入社。購買部門から生産管理、そして電算室でシステム設計の仕事へといろんな経験をしました。この間品質管理のデミング賞受賞も経験しました。入社して10年、仕事がようやく楽しくなってきたころです。可愛い子どもも二人いて、家庭も仕事も将来がとても楽しみでした。 一方、兄クラフトは大手の建設会社やトヨタ関連の試作品会社で技術や営業を学び、父親の繊維工業に跡継ぎとして転職しました。もともと兄は将来跡継ぎに付くことが決まっていました。ぼくはもちろん自分の道を進むと決めていました。お互いがそれぞれの道に邁進していた30代です。 兄が入社した頃の繊維業界はとても好景気で、作れば作るだけ売れる時代でした。ところが、ある年を境に下降線をたどり始め、数年後には想像を超えるほどの構造不況に苦しんでいました。岡崎でも一流と言われていた会社でしたが、海外から入ってくる安い繊維にはとても対抗しきれなくなってきたのです。 ある日のこと、兄に名古屋の居酒屋に誘われました。そこでこれから会社は新しい方向に進まざるを得なくなってしまった。それには右腕としてどうしてもおまえが必要だと言われたのです。突然のことでとても迷いました。収入が下がり生活は厳しくなるだろうし、家族にも負担がかかるのは明白だったからです。 でも兄を助けたい、自分の可能性を試してみたい! そう思って決意しました。でもこの時はこれから来るだろう大変な状況を知るよしもありませんでした。 苦しい5年を経てついに… コンピュータのシステム設計という仕事から一転、紡績の力仕事の現場にガラリと生活が変わり、毎日汗と油にまみれ、身体はボロボロ。きつかったです。しかも年収150万のダウン。心身共に辛いことばかりの連続で家庭崩壊の危機までも現実に……。 業績はどんどん落ちていくのですが、退廃的な古い体質の会社で、幹部はだれも今を変えようとしないのです。かと言って新事業を起こせる程の体力はもうなくなっていました。さすがに僕は後悔し始めました。本当にここに明るい将来ってあるのだろうか? 自分は何のためにここに来たのか? 僕はこの先どうなるのだろう……。 かと言って自分が決めてここに来たからには、簡単に音を上げるわけにはいきません。後戻りもできません。頑張ればいつかはきっと良いことがあるのだ。絶対に諦めずに頑張ろう。そう信じて耐えに耐えたとても長くて辛い5年間でした。 そしてついにその時が来た 1989年、今から23年前、ついに新しい道ができました。ここからが全ての始まりなのです。兄の知り合いを通じて新しい仕事を始めることになったのです。工場の商品倉庫の2階の片隅を改造し、借り物の工業ミシンを2台設置して、トラックの幌を縫製する仕事を始めたのです。これなら大した投資はいりません。 とにかく「何でもいい、兄弟の力で何か新しいことを始めたい」という熱烈な想いがやっと叶ったのです。それが何であるかは問題ではなく、何かをしないではいられないという気持ちでしたから、がむしゃらに働きました。 その後、テントシートや縫製の仕事も増え、設備や人も増えていきました。でも仕事は全て請け負いの仕事ですから、正直言ってあまり面白くなかったのです。自分たちで新しいものを作り出したい! いつもそう思っていました。 オートキャンプの幕開け そんな頃、僕たち兄弟は当時少しずつ流行り始めていたオートキャンプに夢中になっていきました。もともと僕は小学校からずっとボーイスカウトをやっていて、キャンプが大好きでしたから本当に楽しかったのです。 ところがオートキャンプもブームになっていくと、予約を取るのさえ難しいほどになり、まるでテントサイトは長屋のように隣と隣が隣接していて、プライバシーがなくて落ち着けなくなっていました。加えて僕は正真正銘の雨男なので毎回雨が降って散々な目に会いました。 そうだ、ある日閃きました!「自分の理想のカーサイドタープを作ろう!」と思ったのです。すぐに『鷲が羽根を下に向け広げて雛を守っている形(見たことないけど勝手にイメージしました)』が頭に浮かびました。タープを作る生地も道具も技術も僕たちには元々あったので、作るのはそれほど大変ではないと思いました。 兄にその想いを伝えると試作品を作ってくれました。さっそくそれを持ってキャンプ場へ行きました。案の定大雨に見舞われましたが、ワンボックスカーの横に雨漏りがなく、雨風が吹き込まない、そしてプライバシーも守れ、車内をリビングとして使え、とても快適に過ごすことができる空間ができたのです。まさに画期的と言えるカーサイドタープ「イーグル」が生まれた瞬間です。 アウベルクラフトが誕生 それからというもの、商品化のために兄弟が夢中になっていろんな仕事をこなしました。会社の役員を説得したり、タープ用の生地を開発したり、作りやすさの為に改良を加えたり、実用新案の申請をしたりと本当に忙しかったのです。 でも楽しかった。本当に楽しかった。自分が作ったものを世の中に出せる。今まで実現したかったことがついに始まるのです。そしてこの年「アウベルクラフト」というブランドが生まれました。1992年秋、今から20年前のことです。 翌年1993年、アウベルクラフト2年目の春、ついに新発売の日を迎えました。ビーパルというアウトドア誌に「新商品発売記念キャンペーン」としてイーグルとサバンナのプレゼント企画を広告掲載しました。すると毎日山のようなハガキが届きました。実に3,000通ものハガキが山積みに……。 興奮しました。これは凄いことだ!これで売れるはずだと! ところがしばらくすると厳しい現実に直面するのです。それはただの「勘違い」なだけだったのです。反響の大きさだけでみんなが買ってくれるものだと思いこんでしまったのです。 これが教訓の第一歩 日を追うごとに分かってきました。僕たちは良いものは向こうから販売したい、と申し出てくれるものだと勘違いしてしまったのです。当時は好景気でしたし、オートキャンプブームでしたからね。でも世の中はそんなに甘くはないのです。今から思うと笑ってしまうような話ですが、その後は全く業者からの反応はありませんでした。当然のごとく……。 僕たちは物作りはできるけど、どこへ行って何をすれば商品を買ってもらえるようになるのか、販売のことは全く知らなかったのです。その後広告会社の紹介でアウトドアショップを対象にした問屋さんが2社付いてくれました。おし、これで大丈夫と思ったのです。ところが反応は全くありませんでした。 ならば、これは自分たちで直接ショップに行って現物を見せてこの画期的なタープを知ってもらうしかない。そう思って全国のアウトドアショップを回りました。関東、中部、関西、中国と…。ところが聞くところによると問屋からのそんな情報は全く無かったというのです。これが現実だとわかりました。売れるわけないですよね。 結局の所、一年が経過して販売をお願いしたルートより、むしろ自分たちが直接売った数の方が多かったのです。そんなもんです。厳しいけれどそれが現実、これがアウベルクラフトの苦いスタートだったのです。 でも僕たちにとって結果的には良かったのです。この苦い経験を薬に、翌年より直販の道を進んでいくことになるわけですね。問屋さんを通すとかなりのマージンを取られてしまいます。在庫もたくさん持たなくてはなりません。それに問屋さんは僕たちの商品には全く興味がないし、努力もしてくれないことがわかったのです。それなら僕たち自身で直接販売する道を選べばいいではないか。そう思ったのです。 そんなこんなで、何とも危なっかしいアウベルクラフトの始まりでしたが、この先もいろんな劇的なドラマがいっぱいありましたよ。これはまた機会があればお話しすることにしましょう。 アウトドアグッズから手作りキットへ その後は、タープや、トートバッグなどのアウトドアグッズを中心に展開したのですが、それとは別なものが生まれました。スモークキット。これは初心者向けの燻製作りのキットです。その頃キャンプというと、バーベキューが定番でしたが、それだけじゃなくこんな燻製作りも楽しんでみたらどうですか!? と提案したのです。 すると、アウトドアイベントなどで、びっくりするほど売れたのです。そうか、アウトドアを楽しむ人達は、こういう手作りにも興味があるんだなとわかったのです。 それからというものは、ぼくたちはアウトドアグッズより、手作りキットを作っている方が楽しかったので、いろんなキットを作り始めました。すると、どのキットも面白いと言って新聞、雑誌、テレビでたくさん紹介してくれるようになったのです。 その効果もあって、いろんな会社からオファーがありました。一旦は直販のみでやってきたのですが、有名な通販サイト、テレビ局、ネット通販、コンビニ会社、デパート、問屋さんなどからの売上が年々増えていったのです。売上はどんどん上がりました。 でも、喜ぶ気持ちと反して、何故か違和感も感じていました。 その一方では、インターネットの普及でネットの売上も、少しずつでしたが増えていきました。そしてある年、決心をしたのです。 もう一度直販のみの会社にしよう! たとえ売上が大きく下がるとしても、ぼくたちがやりたい方向に進んで行こうと。もしダメだったとしても、いさぎよく受け入れようと……。 当然ですが、しばらくの間はとても大変でしたが、希望を持ち続けていました。いつか必ず、直販だけでやっていけるようになると。 そして、その後時間はかかりましたが、ついに実現することができたのす。 なぜやってこれたかというと こうして僕たちアウベルクラフトが20年という長きに渡ってやってこれた。これは奇跡的な気がします。それくらい紆余曲折、棘の獣道を僕たちは歩んできました。何度も崖からずり落ちそうになっても必死になってよじ登れてこれました。 今思うと、これは僕たちの力ではなかったと思います。たぶん「天の力」のようなものが僕たちに特別な力をくれて、できないと思っていたことができてしまったのです。とても不思議なことがいっぱい起こったのです。これは明らかに僕たちの能力じゃなく、別のところからきた力だと思っています。 ならば今度は僕たちが20周年という節目を迎えて、「天の力」にお返しをしなくてはと思います。でも天にはお返しはできないので、世の中にお返しをしなくてはいけないと思うようになりました。 20周年記念のいろんな感謝の企画や新サイトのスタートは、そんな僕たちの感謝の気持ちを心を込めてお贈りしていきます。もちろん一年で終わりではなく、これからずっと世の中にお返しをしていく活動を続けていきたいと思っています。 今の気持ち 僕たち柴田bros.はこれまでずっとギリギリの中でやってきました。いや、今でもそうです。でも正直言って本当のことはわかりませんが、あえてギリギリの生き方の方が楽しいというか、面白いという感じがしています。 いわゆる教科書的な常識論や正攻法ではなく、自分たちのオリジナルで純粋に素直にやっていくことが、精一杯生きている「手ごたえ」を感じられるような気がしています。こっちに行った方がいいよと偉い人が言うなら、あえて違う道に進んで行きたいんですね。 でもそれができる全ての元は、僕たちが作った商品や、僕たちが提案していることを、みなさんが購入していただいているからです。本当にみなさん、ありがとうございました。そしてこれからも末永くご愛顧いただきますよう、どうぞよろしくお願いいたします。 2012年2月8日
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「ぼくたちの小商い」のこと
昨日はある雑誌社のライターさんからの電話取材を受けました。その本は創刊当時から共感しているコンセプトの本なので、ぼくも嬉しい気持ちでいろんな話をさせていただきました。主に、手作りワインキットについて、もう一つは「小商い」について50分ほどです。そのライターの女性は片付け仕事ではなく、とても興味を持って聞いてくれました。楽しくてあっと言う間に終わったという感じでした。
その時に話したことの一部をここにあらためて書いてみます。
手作りワインキットが生まれたいきさつ
実をいうと手作りワインキットは最初から商品化しようと思って作ったものではありません。というか、アウベルクラフトのルーツになったカーサイドタープ「イーグル」も雨男のぼくが毎回キャンプで雨続きで困っていたのです。それでこんなタープがあったらいいよなあと思って個人的に作ったものです。最初は趣味として使っていたものが、その後商品化につながり、さらにはアウベルクラフトという会社ができていったという経緯があります。他にも石窯キットや囲炉裏キットなど、多くのものがそういうものでした。
手作りワインキットはまだインターネットが始まる前の「パソコン通信」の時代に、ニフティの中でアウベルクラフトの仲間が集まるパティオという私的なページを作り、そこで夜な夜ないろんな話をしている内に、ワイン作りのことが話題になりました。
とても楽しかったです。そのうち、仲間の一人がアメリカからワイン用品を個人輸入しているという話題になり、じゃあみんなで共同購入すれば運賃が安くなる、やろうやろう。ということになりました。面白かったですねー、ホントに。みんなでいろんなことを実験的にやったし、実際にワインを持ち寄ったりして楽しんでいました。
アウベルクラフトではそれ以前に、ごく簡単な手作りワインキットの販売を開始していたのですが、殆ど売れませんでした。手作りビールもそれより前にやっていましたが、それほど売れませんでした。それにぼくたちの販売の主力はアウトドアグッズです。数々のユニークなタープやトートバッグ、クーラーバッグなどが中心でしたから、今のように本格的な手作りワインキットのことなど全く考えていなかったのです。
それがどうしてワインキットとして販売することになったのか、とても面白い話なのですが、そのことはまた機会があったらお話ししますね。
その他、ぼくの手作りワインについての数々の想いや、経験、そして日本でのワインの作りの現状までいろんな話を聞いてもらえました。聞き上手なライターさんだなあとずっと感じながら、でも気持ちを抑えながらの会話が続きました。
アウベルクラフトのホームページを見て、とても丁寧に分かりやすく説明していたり、自分たちが本当に楽しみながらやっているのを見て、柴田さんの想いがとてもよく伝わってきました。そう言っていただいたことが、とても嬉しかったです。
そして、話が「小商い」のテーマに移っていきました。ぼくたちが目指す「小商い」に興味を持ってくれたのかもしれません。
アウベルクラフトの直営ショップ
今から14年ほど前までアウベルクラフトは直営ショップを運営していました。ぼくたちが作った商品を中心にいろんな商品を集め、まるでおもちゃ箱をひっくり返したようなお店だということで、テレビや雑誌、新聞でも紹介していただいたのですが、今思い出してもとても楽しかったです。
ここに集まってくれるお客さんと手作り教室を開いたり、できたばかりのキットをここに来てくれる人達に見せて実際に体験してもらったり、コーヒーもその場で焙煎して飲んでもらったり、囲炉裏キットの試作品をみてもらったり、時々飲み会もしました。いわゆるライブを楽しんでもらっていたわけです。そこには小さなでも素敵すぎるコミュニティがあったのです。
それに、ぼくらにしてみれば、お客さんの反応を直接感じることができるし、ぼくたちの熱い思いも直接伝えることができるわけです。本当に楽しかったんですね。
とはいえ、ぼくたちは会社を経営している立場ですから、売上を上げて採算がとれるようにしなくてはいけません。とりあえずできることは何でもやりました。お店も手作りでどんどん改造していきました。お客さまも増えていきました。兄が物作りを得意としていたので、殆ど材料代だけでどんどんやって行けたのです。
当時の売上のメインは通販カタログを作り販売をすること、そしてビーパルなどに広告掲載をすることで販売をしていました。そして、直営ショップでも販売をしていました。でもこれらの売上げだけでは少ないので、インターネットでも販売を始めました。でも期待はするものの殆ど売れません。というか、当時はインターネットで物を売るということは期待できないという時代でした。
八方ふさがりで行き詰まっていました。だったら、自ら営業に回っていろんなお店で販売してもらえるようにするしかないな、どう考えてもそれ以外の方法が分からなかったのです。正直言って営業という仕事は兄もぼくも嫌いでした。特にぼくは全く経験がありません。でも背に腹は代えられないわけで、本当にいろんなお店に働きかけ、実際に商談にもでかけました。
ところが、ぼくたちの作った手作りキットは面白いし個性的ですから、どこへ行っても比較的よい反応がもらえたのです。結果的にお陰さまで売上は徐々に増えて行きまました。でも正直言うとぼくは心の中で「本当にこれでいいのか? 本当にこのままでいいのか?」という思いが頭の中にぐるぐる駆け巡っていたのです。
なぜかというと、このままだと、売上はどんどん伸びていくだろうなあと感じたのです。最初は小さな会社からのオファーだったのが、だんだん超有名な通販会社や、デパートや、コンビニ会社や、テレビ局、ネット通販、雑誌の通販部門など、どんどん広がりを見せたからです。あのフジテレビのスタジオにも2回行きましたよ。
普通に考えると、これから売上がどんどん増えて、会社を大きくすることができるチャンスなのに、ぼくは何故か会社が大きくなっていくことに違和感を感じました。起業したらだれでも会社を大きくしたいと思うのかもしれませんが、ぼくはそんなことには全く興味がありません。むしろ、小さくてもピカピカ光る会社の方がいいと思っていたのです。
その一方で、インターネットの売上が毎年毎年地道ながらも伸びていきました。アクセスも少しずつ増えて行きました。ぼくはどうしたらインターネットの売上が増えるのか必死に勉強し、自分でホームページを少しずつ手直ししていきました。結果的に手を掛ければ掛けるほど、売上は伸びていきました。
インターネットと直営ショップの両輪はとても充実していました。いろんなことにもチャレンジしました。その1つが「あうべる子ども手造り教室(ジュニアクラブ)」というクラブでした。
ぼくたちは、学校の勉強も大切なんだけど、こういう手作りの楽しい世界があるんだよ、ということを子ども達に教えたかったのです。実は教えるというより、いっしょに楽しんでいたわけです。子ども達も楽しそうでしたが、ぼくたちも本当に楽しかったんです。
上の写真は手作り豆腐を子ども達といっしょに作る教室です。下の写真はアウベルファームという小さな畑にブルーベリーを植えようという教室です。子ども達の笑顔が素敵でしょう?
こうしてショップの運営やインターネットなどの活動での相乗効果もあり、ぼくたちはどんどん元気になっていったのです。「元気」というのは人に頼らなくても、自分たちはやっていけるぞ!という明るい未来が見えるような気持ちです。
そして気が付いたら、業販で販売するのとインターネットでの売上と肩を並べるくらいになってきたのです。それならとまずは新規取引のお話があっても、お断りするようにしました。それはひょっとして、もうインターネットだけでいつかやっていけるようになるかもしれないな、という期待があったからです。
当然なんだけど、業販をやめたら売上は下がる。でもその分、新商品開発や商品改良、そしてホームページ作りに専念できるようになるんじゃないか!? そうすれば結果的に売上が上がってやっていけるようになるかもしれないな。かもじゃなくてぜったいそうなる! そう思った時に、もう、いてもたってもいられない気持ちになりました。
業販というのはとにかくとても手間がかかるんです。見積書を作ったり、その会社に合わせた書類を作らないといけない。場合によっては品質保証書のようなものを取り寄せたり、嫌いな東京に足を運んで商談に行ったり。ともかく精神的にそういう仕事が嫌で嫌でたまらなかったのです。ぼくがやりたいのは、いわゆるビジネスではなく、こんな楽しい世界があるんだよ、ということを伝えることではないのか? 何をやっているんだろう。自分は。。。本当にそう思うようになりました。
そして意を決して、お取引のある会社すべてにお詫びと取引の中止の案内を送りました。
ところがというか、当然というか、取引先からは全く反応はありませんでした。あー、そういうものなんだねと思ったのですが、実際、ビジネスというものはそういうものなのです。これでもう後にはひけません。一旦切ってしまったものはもう二度とつながらないのですから。
でも、こういう経験から強く思ったことがあります。今までは業販という間接的な販売方法ではぼくたちの想いは伝わらなかったし、逆にお客さまの声も聞こえてこなかった。でも直販することで、もっともっと距離が縮まるわけです。ぼくたちが本当にやりたい形ができあがったのです。
考えてみれば、ぼくたちが最初にやっていた方法。自分たちが作りたいものを、直営ショップやパソコン通信で伝え、お店でみんなに直接みせて実演してあげる。実際に体験してもらったり、食べてもらったり、飲んでもらう。そういう「小商い」こそがぼくたちが本当にやりたかったことです。いろいろな経験をして、また原点に戻ることができたわけです。
今はお店はやっていませんが、インターネットでもそれに近いことはできると思っています。実際に多くの人たちが、アウベルクラフトのホームページは心が通っていて、身近に感じる。いろんなことも相談に乗ってくれそうに感じる。そう言ってくれるようになりました。
これまでずっと崖っぷちギリギリの道だっり、深い棘の道を歩んできました。さらにはちょっと無謀な決断もしました。でも自分たちの意志と信念を貫き、たった一度の人生なんだから、ダメだったらそれでいいやと思いました。というか、ぼくたち柴田兄弟はみんなが通る道じゃなく、自ら道を開拓していきたいといつも思っているんですね。
その結果、今は安定した経営ができ、お客さまから信頼を受け、ぼくたちとスタッフがやりがいと楽しさを感じながら毎日仕事ができています。本当に幸せだなあと思っていますよ。
とはいえ、まだまだやるべきことは多いです。でもぼくたちの使命ははっきり見えています。このまままっすぐに進んでいこうと思っています。
みなさん、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
ということで、自分の思いを込めた面白い会社をつくることができたことは幸せなことだった。そして、もし、ぼくがもう少し若ければ第二章をやりたいなとも思う。でもそれよりも次はやっぱり少し郊外でいいから、小さな楽しいカフェが作れたらいいなあ。できるかなあ。
ちなみに、このブログは会社や他からのリンクは一切張っていないし、あくまでもぼく個人のブログで一部の知人のみしか知らないし、偶然このブログに辿り着いた人が見るだけ。なので、ぼくが会社を畳むことも今日ここだけにしか書いていないが、ま、一応内緒ってことでお願い。でござる。