神様からの指令
6月始めの ある日のこと
神さまはぼくマーベルに " ある指令 " を与えた。
「今年の血液検査は、町の医者に変えなさい!」……と。
ま、実際は神さまではなく "カミ” さんだったんだけど、ぼくには神の声として聞こえた。それはこのブログを最後まで読むとわかるよ。
これまで毎年の健康診断は市の施設「はるさき健診センター」で受けていたが、カミさんが今年は町の医者に変えたいという。その理由は単に検査費用が、町医者にした方が「安くすむ」という、ただそれだけの理由だけだった。
ぼくはあまり深く考えることもなく、言われるまま了解した。しかしこれが結果的に「神の指令」となった。(ちなみにぼくは無宗教だけど、時として神や天の導きはあると思っている)
町医者で定期検診を受けた
6/12(水)
今までは健診センターで検診を受けていて、その結果は自宅に郵送されて来る。そのデータと過去20年間蓄積したデータとを比較して判断するが、殆ど医者にはいかなかった。
しかし、今回町医者に変えたことで、その結果によっては医者の指導を受けることになる。それはごく当然のことなんだけどね。
検診の結果が悪かったときには、何か言われるかもしれないけど、「今後についてどうするか、一度自分で考えてみたいと思います」そういえば済むことだ。
こうして予定通り町の医者で健康診断を受けた。いつもの検診センターと違って、大勢の人が来るわけではないので、短い時間で終えることができた。行って良かった。
検診結果が出た
7/10(水)
検査後少し遅くなったが約4週間ほどして、検診結果を聞くためにその町医者に行った。
結果は中性脂肪、γ-GTP、クレアチニン、eGFR、尿酸がH判定。つまり基準値より高いという。実をいうとこの結果は過去のデータからある程度予想していた。
そして先生はこの結果をみて「大きな病院に行って、精密検査を受けなさい」という。もちろん予想していたので「少し考えさせてください」と言って、その場を回避することもできたが、今回ばかりは " なぜか神の声 " を感じたのではそうしなかった。
というのも、ぼくは去年の9月に70才になった。心の中では「これから先も、健康で長生きして、孫たちと楽しく過ごしたい」、「病院通いをしなくて、これからも元気な暮らしを続けていきたい」そういう願いが " 神の声 " として聞こえたのだろう。
いくら自覚症状がないと言っても、この結果を見れば、多少なり負担をかけていることはわかっている。
「な〜、りゅ〜じよ。今は大したことないかもしれんがな。それが積もり積もって、いつか手遅れになってからでは遅いんぢゃぞ!」
そう神の声として聞こえたような気がしたのだ。
それに、もし再検査をして結果が悪く出たとしても、まだ初期段階だから、それを受け止めて生活を改めればいい、そう思った。今ならまだ間に合うと思ったからだ。
というわけで、わが家の近くにある藤田病院への予約手続をしてもらった。
藤田医科大学岡崎医療センターで受診
7/17(水)
予定通り、再検査を受けるために藤田病院に行った。ここはカミさんの付き添いで来ることはあっても、自分が検診を受けることは、コロナのワクチン接種以外は初めてだ。
病院の受付を済ませると、血圧測定のコーナーに行って、自ら血圧測定するように言われた。その結果をプリントアウトする。(来たばっかりなので絶対高い)
続いて外来受付にいくと、診察の前に血液検査を受けることになり、別室で採血を受けた。これまでの採血は2本しか採ったことがないのに、この日は5本も採った。そしてその結果が出て診察の順番が来るまで、ひたすら待合室で待つことになった。
広い待合室はほぼ満席で、いったいどれだけの人が、毎日ここに通っているのだろうかと驚いた。こんなにも病人が集まっている場所にずっといると、なんだか気分が落ち込みそうだ。でもこれが日本の病院の現実なのだ。
診察が始まった
病院の受付をしてから待つこと2時間余り。11時過ぎにようやく診察室に呼ばれた。血液検査の結果は4枚にも及ぶが、今日はその一部しか結果が出ていないらしい。
これらの中で、肝機能、腎機能の指摘があったが、クレアチニンやeGFRは高いものの、尿蛋白は正常なので、腎機能については現状での大きな問題は指摘されなかった。
そしてぼくの方からは、最近は毎日散歩をするようにしていること、食生活を大幅に変え始めたこと、さらに近くお酒をやめるか節酒することを伝えた。
そのことを聞いてか、今回の検査結果だけではなく、先ほど伝えた3つのことでどう変化したのか、次回の検査結果をみて、総合的な判断が下されることになるのだろう。
対応してくれた先生はとてもいい先生だった。ぼくのいうこともちゃんと理解してくれ、威圧的な態度もなくとても良心的でよかった。
先生の指示で、この後腹部のCTスキャンをとることになった。そして宿題として約1週間分毎日、朝起きて1時間以内と就寝前の2回血圧測定をするようにとのことだった。
次の受診は、まだ検査結果が出ていない分と次回の新しい血液検査を含めて、今後についての診断となる。診察日は6週間後の8月28日(水)となった。
この日の医療費合計
この日の会計は、なんと医療費合計 57,720円、自己負担は3割負担で17,290円 ( °Д°)
つまり国の負担が差し引き40,430円だ。この数字をみるだけで、国の医療費がどれだけ莫大なのものかがよくわかる。ありがたくもあるが、これで大丈夫なのかと心配にもなる。
禁酒か節酒か?
というわけで、いよいよ「禁酒」か「節酒」かの決断である。
でもあえて節酒という中途半端なことはしたくない。ぼくのことだから、中途半端に節酒をしてもまた元に戻ってしまう。だから思い切ってやめるしかないだろう。
とにかく「禁酒」はぼくの人生で一番の大きな決断である。とはいえ、先生の前で「宣言」をした以上、もう後戻りはできない。やるしかないのだ!
……と、一旦は決めたものの人間は弱いものだ。正直まだ迷っていた。先生の前では「お酒をやめるか節酒する」と言った。つまり " 節酒 " という方法もありなのかなとも……。
20年前の大腸癌摘出手術のこと
実は今から20年ほど前。一度だけ約一ヶ月間お酒をやめたことがある。それは大腸の内視鏡検査でポリープ検査をしたときに、親指の先ほどの癌が見つかったときだ。
その先生が名医だったこともあり、内視鏡検査の途中で、癌の摘出手術に切り替えて、見事に取り除くことに成功したのだ。
数ヶ月後にもう一度内視鏡検査をすると、きれいに癌がなくなっていた。もし検査を受けずに放っておいたら、今頃どうなっていただろうか……。
その1ヶ月の禁酒後、血液検査の結果はどうなったかというと。 中性脂肪、γ-GTP、クレアチニン、尿酸値、この全てが正常値だった。つまり禁酒をするとこうなるという証だ。
ところが、その禁酒のときは、これでお酒をやめる気はまったくなかった。結局数年後にはまた肝機能、中性脂肪、腎機能の数値があがってきた。
アルコールの適量とは
さて、話は前後するが、いわゆるアルコールの適量とは、どれだけの量なのだろうか? そしてぼくの酒量は一体どれくらいの位置にあたるのだろうか?
それを調べてみることにした。アサヒビールのサイトでは、アルコールの適量はほろ酔い程度で20~25gだという。
ちなみに焼酎25%だとアルコール量20gは約100mlとなる。単純計算するとぼくが毎晩飲んでいた焼酎約270mlは、その 2.7倍 になってしまうではないか!
さらに、キリンのアルコール摂取量と処理時間のサイトで、この量が消失するまでの時間は約11時間だった。ぼくの感覚では翌朝まで残っているという感覚は全くない。
そしてこのぼくのアルコール量から計算すると、血中濃度0.14で「酩酊初期」入る。これは「大声でがなりたてる」「立てばふらつく」という状態らしい。もちろんぼくの場合は、シラフで普段と全く変わらない。
まあ、これらの数値はあくまでも平均的なことを言っているのだろうが、「お前は飲み過ぎだ」と言われているようでちょっと腹が立つ。笑
今こそ決断しよう!
ぼくの飲酒歴は、東京の大学に入って初めてお酒を覚えた。そして就職し退職して、この年までの約50年間、一度もお酒をやめたことはなく、ずっとこよなく愛してきた。
嬉しいときも、悲しいときも、辛いときも、いつもお酒があった。そして50年の間ぼくを支えてきてくれた。それをただ「禁酒する」と言葉で片付けるだけなら簡単なこと。
それに選択肢としては、節酒という方法もあるではないか。一旦節酒してそれでもダメなら禁酒という方法もあるのだ。
しかし「やっぱり節酒ではなく "禁酒 " にしよう!」そう決断した。とにかく365日毎日親しんできたものから、お別れすることは辛い。でも今こそ決断の時なのだ。
もちろん実際にそれを実行するとなると、どれだけ大変なことかは容易に想像できる。でも「他に選択肢はないのだ。やるしかないのだよ!」と自分に何度も言い聞かせた。
とはいえ、少しでもその辛い決断を、実行していくには手順というか、心の準備も必要なのだ。そこで段階的に減らすという方法をとることにした。
とにかく「お酒の残りが無くなったら、その時点でお酒をやめるんだぞ!」ということを、何度もくりかし自分に言い聞かせた。
計画的な禁酒
計画的にということであれば、まずは焼酎の残量を正確に測ることにしよう。
残りは1,720mlだ。いつも飲んでいる量は約270mlだから、単純に6日程で終わってしまう。そこで段階的に減らすように、9日間のカウントダウン・プログラムを組んだ。
ちなみにこの量を約270mlと決めたのは、ちょうど初孫が生まれた雪の日だった。それまでは夕食中から寝る直前までずっと飲んでいて、次の日まで酒が残ることはざらだった。
そこでぼくは「生まれた初孫のために長生きしよう!」そう決心した。そしてカミさんが「いいちこ」の小瓶にマジックで線を引いた。それが約270mlである。 |
禁酒 カウントダウン・プログラム
7/17~7/20(9日〜6日前の4日間):約270ml
7/21(5日前):200ml
7/22(4日前):90ml
7/23(3日前):90ml
7/24(2日前):90ml
7/25(最終日):50ml
最終日は50mlだ。さすがにこれくらいになると、飲んだ気にならないだろうが、ひと口ひと口をしみじみ味わいながら飲む。そして最後のひと口。これで " おしまい " ……。
7/26(金)禁酒1日目
そして翌日7/26から、ついに禁酒を開始した!
" Lift - Off〜 ♪ "
ついに無事離陸に成功したのである。いざやってみると、お酒を抜いても、それほどの違和感は感じなかった。プログラムのお陰だろう。
そして今日で禁酒後丸3日経過した。どうやら無事に軌道に乗ったようだ。お陰で熟睡できたし、目覚めもいい。それより何より体調もよく、食事がおいしいのだ。
恐れていた「禁断症状」みたいなものは全くない。少しはあるだろうと予想していたんだけど、" 今のところ " 全くない。気が張っているからかもしれない。
さて、これから1週間後、2週間後、そして1ヶ月後にどうなっているかだが、なんとかこのまま墜落しないようにしたい。
生活改善について
というわけで、今回の血液検査の結果から「血圧、脂肪代謝、肝機能、腎機能」に多少問題ありということだった。
ただし、これまで長年血液検査のデータをとってきて、「これは大問題だ。重大な欠陥がある」という程ではない。
それでも70才になって「このままではいけないな」と真剣に思うようになった。誰もが望むように、病院や薬に頼らないで、元気に暮らしていきたいのだ。
それに孫たちと楽しく遊びたいし、これからも趣味を楽しみたい。そのことを心底思うようになって、これまでの暮らしを改めることにしたのだ。
そのためにも、先ほどの数値を改善できるように生活を改めるのだ。
ところがいろいろ調べていくうちに、これらを個別に対策を打つというより、ほとんどが共通したものだ、ということがわかってきた。
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その対策法とは
① 卒酒(禁酒):言うまでもなく酒を断つこと
② 運動:毎日20~30分の散歩、室内ストレッチ
③ 食事:減塩、野菜、大豆食品、海藻類他
④ 水分摂取
まずは、これらのことを重点的に生活改善をしていこうと思う。
すでに始めていた食生活の改善
さて、今日はこれまで「禁酒」のことばかり書いたが、実はこれより前に食生活の改善を始めていた。
まず、朝は食べないことが多かったし、たまに食べたとしても、前日の残りのカレーとか煮物とかくらいで、あまり食べたいとも思わなかったのだ。
そしてお昼は2日に一度はラーメンを食べていた。インスタントラーメンやラーメンコーナーにある高山ラーメンとか、札幌ラーメンとか、とにかくラーメンは定番だった。
それ以外の日は、冷凍食品をチンして食べるとか、頑張っても野菜たっぷりの焼きそばとかだった。さらにはなんと金〜日曜日までの3日間はビール付きだった。
ところが " 神の声 " を聞いた日を境に食生活は一変した。朝食は、ごはんに納豆、味噌汁、メカブ、生姜をたっぷりのやっこ豆腐など、健康的なものを食べ始めた。
お昼はもちろんラーメン類は一切やめた。その変わり日替わりでメニューを変えるが、必ずたっぷりの野菜サラダをメニューに加えた。新鮮な野菜がこんなにおいしいとは!
夕食はかみさんと同じメニューなんだけど、スーパーに行っても、ぼくのことを考慮した食材を選びながら、バランスのよいメニューを考えるようになった。
そして大きく変わったことは、今までそれぞれの料理は、大皿に盛ることが多かったが、ぼくが食べ過ぎないように、あらかじめ別々の皿に盛り付け、味付けも薄味にした。
というわけで、今回の一連のことで、生活は大きく変化した。「禁酒」だけではなく、それ以外にも食生活や運動、睡眠など、大幅に改善されたのは言うまでもない。
「禁酒」ではなく「卒酒」と呼ぼう
最後にお酒をやめることについては、「禁酒」とか「断酒」他にも「止酒」「終酒」最近では「ソバーキュリアス」がある。でもぼくはこういう呼び方はしたくない。
なぜなら、この呼び方は「酒は悪だ」という考え方からきているように思う。悪いものを断つ。悪いものを禁ずる。ということだ。でも本当にそうなのかと思ってしまう。
ぼくは20才からお酒を飲み始め、就職し社会人そして定年暮らしの中で、お酒は常にぼくの友だった。辛いときは慰めてくれたし、めでたいときはそれを祝福してくれた。
仲間が集まって楽しく過ごすときには、いつもお酒があって、その絆をつくってくれた。そこにはいつもお酒があったことで、ぼくの人生を豊かにしてくれ、幸せにしてくれたのだ。その大切な宝物は、いつまでもぼくの記憶の中に残していきたいと思う。
そして、もうすぐ71才を迎える今、お酒をやめることにしたが、ぼくは「卒酒」でいいぢゃないかと思った。つまりお酒を卒業するのだ。それはある意味、人生の旅立ちでもある。これから希望溢れる未来に向かって、ぼくは新たな旅を始めるのだ。
神さまありがとう!
さて今回の話のきっかけは " 神さまの指令 " に素直に従っただけだと思っている。
その声を聞き逃さずに、自分の中でその正しい方向を見定めることができたことで、うまく飛び立つことができたと思っている。(繰り返すが、ぼくは無宗教だけど、時として神や天の導きはあると思っている。そして神というのは、どこか遠い所にいるのではない。いつもココにいるんだよ)
さあ、感謝して乾杯しよう〜!🍻 (もちろんノンアルコールです! 笑)
次回1ヶ月後(8月28日)の検診結果が出たら、またこの続きを書きたいと思います。
同窓会
最後に2つだけ、これからも続けていくことをつけ加えておきます。
それは、共に会社をつくり運営をしてきた兄が、いつも楽しみにしている年に2度の飲み会を続けること。
そしてお盆や正月など、家族が集まったときに、みんなの前でビールをおいしそうに飲むこと(家族には卒酒のことは黙っています)。これは卒業しても、たまに同窓会があるのと同じですね。笑