ギターの練習は仕上げに入った
10日程前のブログで「雨降る窓辺で」の練習を始めて1ヶ月余り、ようやく通して弾けるようになったこと。そして自撮りをして修正をしながらの練習をしていると書いた。
ギターは一通り弾けるようになっても、それで終わりではない。最終的には自信をもって人に聴いてもらえるレベルまで仕上げていく、その練習をしているところなんだね。
ところが毎日練習を重ねているのに全然上達しない。しかも集中できないし、モチベーションも上がらない。そうなると自信もなくなってくるという悪循環に陥ってきた。
それをプラトー現象というのだ
あれ?これってピアノの練習でもこういうことがあったよな。そうだこれは「プラトー現象」だ。以前『これを「プラトー現象」と言う、らしい』に書いたことだね。
何かを続けていると一定のレベルまでは上達し、楽しく感じることができる。ところがある時期になると、努力しても伸び悩みを感じ、成長を実感できなくなってしまう。
そうなるとモチベーションも下がり、これを乗り越えられないと練習をやめてしまう。当然レベルが上がらないという悪循環。これがプラトー現象でスランプとは違うらしい。
そのときは次の方法で乗り切った。
① テンポをさらに、もっともっとゆっくりにして弾く
② メトロノームを使って、それに合わてゆっくり弾く練習をする
その2つだった。
さっそく今日からこの方法に変えて、通常の半分くらいの速さで弾いてみた。するとまるでメトロノームが、ぼくと一緒に練習してくれているような気分になった。これはいい。
それに集中力が全く違う感じがして、これならずっと練習をしていられるぞって思う。しばらくこの練習法を続けて、ときどき普通の速さに戻してチェックをしてみよう。
人生は思い通りにはいかないが、急がなくていい
最近思うことがある。それは「人生は思い通りにはいかないが、急がなくていい」ということだ。例えばこの「雨降る窓辺で」の練習も最初の頃はどんどん上達していく。
すると、自分はこのペースで右上がりに上達するので、3月の始めにはマスターできるだろう。そんなふう自分で思い込んでしまって、そこに向かって頑張ろうとしていた。
ところがマスターどころか、練習すればするほど返ってだんだん下手になっていく、当然ながら楽しくない。……という負のスパイラルに陥ってしまったんだね。
ふと、そういう自分にちょっと違和感を感じた。「何でそんなに急ぐのだ。もっとゆっくりじっくり、半年くらいかけて楽しめばいいぢゃないか!」そう思ったんだね。
自分が我に返ったことで、急に気が楽になってきた。それでいいんだよ、それで。
ぼくが好きな吉田拓郎の「たえなる時に」という唄の中で、「今休めばいい、その次のために」というフレーズがある。これを聴くといつも心がふっと軽くなるのを感じる。
(ちなみにこの曲の忘れられない貴重な感動のエピソードはココの下の方に書いている)
「人生は思い通りにはいかないものだ」
だれでもみんな同じさ。そんな時は一旦立ち止まって休めばいい。そして気持ちを整えたら、自分のメトロノームをゆっくりしたペースにして、前に進めばいいんだよ。
音作りを楽しもう!
というわけで、ゆっくりペースにしたことで、とても気が楽になったので、前からやりたかったことを始めることにした。それは自撮りでの音質レベルを上げることだ。
今やっている方法は、iPhoneにRODEのマイクをつけて録音している。当然マイク無しより音がよくなるんだね。でもぼくが持っている機材でもっといい音で録音できるはずだ。
今ぼくが持っているのはこれらの機材になる。もちろんこれらはすでに使ったことがある機材だけど、まだ充分使いこなせていないんだね。
そこでこの機会にもっと勉強して使い方の理解を深め、より良い音を追求してみようと思っている。続きは後日のお楽しみということで♪