今週の月曜日、悲しい知らせが届いた。それはぼくが大好きだった親戚のおじさんが亡くなってしまった、という知らせだった。
その人の名前は「志村けん」という。もちろん親戚でもなんでもない。でも、知らせを受けたときの大きな喪失感は、まさに「親戚のおじさん」を失ってしまったそのものだった。
ぼくはテレビよりYouTubeを観ることが多い。疲れた時や気分を明るくしたいときは、なぜかいつも志村けんのコントだった。それはいつも面白いことばかり言う親戚のおじさんだったのだ。
あれほど元気だった人がこんなに簡単に死んでしまうのか。しばらくはそのショックでブログを書くこともできなかった。それどころか何もしたくなかった。
そんな気分のときには、何かを楽しもうという気持ちにはとてもなれず、かと言って落ち込んでばかりもいられない。自分でもどうしていいかわからなかった。
そんな時、偶然アマゾンプライムビデオで『ブランカとギター弾き』を観た。いい映画だった。少女ブランカと盲目のギター弾きピーターのお陰で、ずっと内にこもっていた気持ちから救われた気がする。映画がぼくの気持ちを蘇らせてくれた。
それから毎日のように短編映画を観るようになった。
・このまちで暮らせば
・サクラノマチ
・UNIFORM
・夏のたからもの
etc.……。
そして、YouTubeを観ていて偶然見つけた歌が『いきものがかりの「YELL」』だった。心に染みた。いい歌だなあ。
すると次に流れてきたのが、『「100日後に死ぬワニ」× いきものがかり「生きる」』だった。「100日後に死ぬワニ」のことは知らなかったので、その漫画を見てみた。
主人公のワニは100日後には死んでしまうけど、本人はそれを知らない。ところがストーリー自体はなんともほのぼのしたいい漫画だ。そして日めくりのように、一日ごとに残りの日が少なくなっている。ついに100日後……。
志村けんさんも同じように、その直前まで笑って生きていた。さぞ無念だろう。
今はコロナウイルスのことで、世界中が辛い思いをしている。どうしても悲観的な気持ちになりがちだ。でも、いつかは元に戻るんだ、終息するんだ。そのために今自分ができることをしよう。やっとそう思えるようになってきた。
「意思の力による楽観主義」、これはかつて大江健三郎さんが言っていた勇気の出る言葉だ。「自分の意思」で楽観的にものごとを考えないといけないということだよね。まさに今こそそういう気持ちで毎日を過ごしていかなければならないと思う。
そう思い始めてから、蒸気機関車作りを再開しようと思えるようになってきた。今こそ流れてくる悲観的な情報に流されないで、「自分の意思」をもって「楽観的」に生きていくことが大切なんだと思う。
そのために、まずは「自分の意思」でニュース番組を観るのをやめることからだ。テレビ局は視聴率を取るために、朝から晩まで一日中悲観的な情報を流し続ける。これは心のウイルスでしかない。もうこれからは「自分の意思」を持って楽観的に生きるための行動をしようじゃないか。そう思わないかい?