ときどき「ほぼ日の今日のダーリン」を読むんだけど、読むたびにいろんなことを教わる。それにほぼ日刊といいながら、休んだということがぼくの記憶にないのもすごいなとも思う。
そして「今日のダーリン」を書いたあとに「ほぼ日手帳」を書いているという、それも毎日続けているという、昨日はそのことを書いていた。
04月02日の「今日のダーリン」
・さて、今日もこれを書いてから寝る。 (中略) 書くことがないにしてもあるにしても、 今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。 |
どんなことも毎日続けるということは本当に大変なことだと思う。でもイトイさんがいうように、まずは「決める」ということから始まって、歯みがきをするような習慣になれば、コツなんかいらないということだよね。
ぼくも毎日「大きい ほぼ日5年手帳」で日記を書いている。
定年退職して早いもので3ヶ月になるんだけど、毎日が休日ということがこんなに楽だし、やりたいことをできる時間がいっぱいあって、これほどいいもんだとは思ってもみなかった。
だからこそ毎日日記を書いているのだ。そのことを書いてみたい……。
これは昨日4月2日のもので、一日を終えて、今日一日がどんな日だったかを日記に書いている。書いている内容は、朝昼晩の3食は何を食べたのか。気温や天気。そして何をしたのか、何があったのか、そしてこれらの感想などを書いている。
昨日は「KONTAKT」と「Studio One」という2つの音楽製作用のソフトの勉強、そして使う練習をしたことと「難しすぎて全然わからん」とある。さらに午後になって次男坊と2人の孫娘が遊びに来てくれて、いっしょに遊んだことなどが書いてある。
そして「楽しかった2〜3時間だったけど、反動で動けん。。。」と感想が書いてあった。孫たちと過ごす時間は楽しいけれど、ジジババにはとてつもないくらいのエネルギーを使うのだ。笑
別に大したことを書くわけではない。でもこうして日記に残さないと3日たつと、1週間たつと、自分がどういう日々を過ごしていたのか、それを完全に忘れてしまう。
そして1年が終わるころに、自分がこの1年何をしてきたのか。自分が何のために生きていたのか、これからどう生きるのかを見失いそうになってしまう。
その日の終わりに日記を書くことで、「今日は一日大事に生きてこれたのかな」と振り返り、自分の生き方を確認しながら、軌道修正することができるんだよね。
そして、日記を読み返すことで記憶がよみがえるのだ。どんなに楽しいことがあっても、ときがたてば忘れてしまう。でも日記を読み返すことで、それをまた思い出すことができるのだ。
別の言い方をすると、小説を読むより面白い物語がここにはあるのだ。ブログを書いているのも同じことなんだと思う。
もちろん日記なんて書かなくても、元気に楽しく生きていけるだろう。困ることはないだろう。でもぼくは日記を書き続けることの意味(面白さ)を知ってしまったのだ。
それにパソコンのキーボードで文章を書く習慣になると、字が書けなくなってしまうのだ。だから字を書く習慣をなくしてはならないのだよ。そう思わないかい?