日記・コラム・つぶやき

「終わってる日」がもうすぐやってくる

「終わる」という言葉

ぼくの仕事は、いよいよ12月20日までで終わる。今日でその残りはあとひと月となった。

ふと、先日「ほぼ日」にイトイさんが書いていたことを思い出した。

いつぐらいからかなぁ、
気の重いことが予定されているとき、
「しかし、それが終わってる日がくるんだ」と思って、
そういう日がくることを遠い目をして待っていた。
(略)
考えてみたら、それはたのしい予定についても同じことで、
どれだけ待ち望んでいても、「終わってる日」がくる。
言い方を変えれば、それって
「諸行無常」ということなのかもしれない。

出典: www.1101.com

この「終わる」という言葉をきくと、嫌なことがあっても、その終わる日があるから救われる。その日を待っていられる。あるいは逆に楽しいことが終わってしまって、少し寂しいような切なさも感じるよね。

このぼくにももうすぐその「終わってる日」がやってくる。

「春愁」という言葉の意味と解釈

そして、以前読んだ五木寛之氏の「孤独のすすめ」の中にあった、こんな話のことも思い出した。

「春愁や老医に患者亡き日あり」

若い頃どこかの大病院の院長として活躍され、名医とうたわれた医師がいる。定年退職後もまだまだ人の役に立ちたいと、自宅に診療所か医院を開かれた。日々、あのおばあちゃんはどうしているだろう、あの子の体調はどうかと考えて過ごしているうちに、やがて年月がたち、老いもさらに深まってきた。

ある日いつものように白衣を着て診察室で待っているけれど、どういうわけか患者さんが誰も来ない。看護師さんに「どうしたんだろう。今日は誰も来ないねぇ」というと、「そうですね。最近は新しい立派な病院もありますからね」と、つれない返事。

「たしかにそうだ。そのうち、こういう日が続いて、いつか誰ひとり訪れる人がいないときが来るんだろうな」などと思いながら窓の外を見ると、桜がちらほら散り始めている。やわらかい陽ざしの中でぼうっとしながら、老医師がしみじみ来し方行く末を考えている風景。

出典: www.amazon.co.jp

五木寛之さんはこの句について

「春愁」という言葉はとてもいい。春爛漫の中で何となく感じる愁い。味わい深いものです。人生の最後の季節を憂鬱にとらえるのではなく、穏やかに、ごく自然に現実を認め、愁いをしみじみと味わう。こうした境地は、まさに高齢者ならではの甘美な時間ではないでしょうか。

そう言っているんだね。
ぼくはこの解釈がとても気に入っていて共感する。年は離れているけど、この老医師と今の自分の境遇が重なるからだ。

「春愁」という言葉の意味は「春の季節に、なんとなくわびしく気持ちがふさぐこと」だけど、今のぼくは「穏やかに、ごく自然に現実を認め、愁いをしみじみと味わう」という気持ちが素直に理解できる。

でもね。正直言うと、今は「終わる日があるから救われる」という気持ちと、「楽しいことが終わってしまって、少し寂しいような切なさ」の両方あって、とても複雑な気持ちを感じている。「うん、そうそう私も」って思う人もいるだろうね。

さらに、日刊スポーツの『五木寛之氏が説く「孤立ではなく孤独であれ」の意味』でこう言っている。

タイトルだけで誤解してはいけない。五木氏は穏やかに言葉をかみ砕くように話し始めた。「孤独というのは、独りになるといっているのではなく、和して同ぜず。皆と一緒に仲良く物事を進めていくなかで、均一化せず、自分を失わず、自立しろということです」。

同じ「孤」の字でも、仲間から外れて存在を失う「孤立」と意味が違う。「合唱やコーラスで違った声の人たちが、ソプラノ、アルトといったパートを失わずにハーモニーを作る。それが孤独の身近な例ですよ」。

出典: www.nikkansports.com

ぼくが思っていることと同じことを言ってくれた。孤独と孤立は違う。ぼくは「我が道を行く」とか「あえて棘の獣道を進んでいく」そういう生き方をしていて、それがそのままぼくの会社の生き方でもあった。もちろんこれからの人生も変わらない。

ぼくの退職後について

さて定年退職後は何をする? ぼくの場合はこれまでもいろんな趣味があって、時間がいくらあっても足りなかったので、ぜんぜんというかむしろありがたいくらい。

今お休みしている鉄道模型も再開できるし、料理も始めるし、カメラも本格的に再開したい。それに平日の旅行やキャンプができる特権をもらえるなんて、どれだけ嬉しいことかと思っているよ。

もちろんぼくの夢「小さな楽しいカフェをつくること」は諦めていない。理想の場所はいまだ見つからないけど、時がくればいつか授けられるもの。それでいい。

ちなみに、これは手作りのお店を営業していた頃のもので、オモチャ箱をひっくり返したような面白いお店だった。外には小さなログハウスがあり、石窯も2台、そしてオープンカフェがある。こんな楽しいカフェがつくれたらいいなあ。

他にもいろんなことを思うけど、あんまり欲張らずに、頑張らずに、むしろこれまでよりシフトダウンして、ゆっくり人生を楽しんで行こうと思う。

最後に「旦那が毎日家にいることでストレスがたまる問題」はなさそう。あえてきいてみたけど、むしろ毎日家にいる方がいいと言われた。その方が安心なんだろうね。とはいえ、ぼくは休みの日はほとんど自分の部屋で遊んでいる。だからかな。

というわけで、以前にも話をしたけど、ぼくにとって「第二の人生」というものはない。むしろ「これまでいっぱい働いたからたっぷり時間をあげるね」……神さまがそう言ってぼくにご褒美をくれるんだと思っているよ。

残りあと一ヶ月、いろんな想いをしみじみ味わいながら、大切に過ごしていこう!

 

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