愛着を感じるカメラ「Z fc」
新しいカメラ「Z fc」を手に入れてから、カメラの概念がすっかり変わってしまった。今まで一眼レフカメラは「写真を撮る道具」で、必要なときにだけ使うものだった。
ところが、この「Z fc」はまるで可愛いペットのように、いつもそばに置いておきたい。そして気が向くと、あれこれ操作して楽しんでいる。それくらい愛着があるのだ。
ちなみに右に置いてあるのは、弟分の「MINOX DCC 5.1」で、こちらももちろん使えるが遊び心で買ったカメラだ。こういうデザインがぼくは大好きなんだね。
写真のことを一から学ぶことにした
さて、新しく愛着のあるカメラを買ったこの機会に「もう一度写真のことを一から勉強しなおす」ことにした。
ただし写真の技術より、むしろ「自分らしい写真を撮る」にはどうすべきか、それを学ぼうと思った。つまり「哲学的」に写真と向き合うことにしたのだ。そしてこれは最後に書くけど「自分らしい人生を送る」方法にもつながるんだね。
この「私らしい写真を撮る方法」という本の中には学ぶことが多いけど、ぼくが最初に実践するのは「好きな写真をマネすることが、上達の一番の近道」ということだ。
「マネする」という言葉を聞くと、あまりいいイメージは持たない。ぼくも人のマネすることは嫌だ。しかし、ここに書いてあるのはその意味が違う。
マネるのは技術的なことではなく「なぜその作品に惹かれたのか、作者はどんな思いで作品を撮ったのか、テーマは何かなどを考えながらみてください」と言っている。
そこから自分の作品との比較をしていくことで、「自分の個性や美意識」を確認することにもなっていくのだと。
つまりは自分の中にあるけど気付かないでいる「個性や美意識」に気づくことなのだとわかる。(これはけっこう深い話だ)
今まで人の作品を観て、そんなふうに考えたことはなかったし、ただぼんやり眺めていただけだった。だから、まずは第1段階でこのことを実践してみようと思ったのだ。
そこで自分が好きな写真はどんな写真だろうか。それを見つけるために、有名な写真家や写真の本を図書館で借りてきた。全部で8冊ある。
例えばこれはマイケル・ケンナの写真集のギャラリーの写真だ。モノクロで幻想的な写真だ。丹念にこういう素材になる景色を探して、ようやく撮れる写真なのだなあ。
他のもじっくりそれぞれの本の写真を観た。でもこれらを観て「いいなあ、こういうのをマネしてみたいなあ」というがすぐに見つかるというものではない。
つまり、自分の感性がそういう粋に達していないという、自分のレベルの低さを改めて自覚したようなものだった。それがわかっただけでも意味がある。
それに通ずるのが次の話だ。
「何を撮るか」と「どう撮るか」の、どちらが大切なのか?
ここにある2冊の本には全く反対のことが書かれている。
①「私らしい写真を撮る方法」では
「何を撮るかではなく、どう撮るかが大切」
と書いてある。
②「写真力アップのための新トレーニング」では
「どう撮るかではなく、何を撮るのかが大切」
と書いてある。
それでは、この2冊の本で何を言いたいのか詳しくみてみよう。
①の意味は
“ 何を撮る ” かを重視すると、被写体に撮らされてしまい、イニシアチブが被写体の方にある。そうではなく、あくまでもジャズのアドリブのように「あなたの感性と個性で撮りなさい」と言っている。
ふむふむ「ジャズのアドリブのように感性で撮る」なるほどそうだ。
一方で②の意味は
「どう撮るか」というのは写真の技術、つまり「上手に撮る」という意識が働いている。あくまでも撮るのは「モノ」ではなく「コト」で、それをあなたの「思いで撮りなさい」と言っている。
なるほど「モノではなくコトを撮るのだ」その通りだと思う。
つまり、どちらの言っていることも「感性で撮りなさい」という意味では同じで『モノではなくコトを、あなたの感性で撮りなさい』ということだ。
ストーリー(物語)を考えて撮る
こうなると「桜の花を撮るということ」が単に「桜の花というモノを、技術を駆使して上手にキレイに撮る」ということではないんだよね。
例えば、こんな感じだろうか。
「寒くて厳しい冬がようやく終わり、やっと春を迎えて桜の花が満開になったね。ぼくはこのそよ吹く穏やかな風を感じながら、美しい桜の花を観ている。とても幸せだ」
というこの情景を、ぼくの感性で撮るということになる。
実際にこのときは、右が冬を表す葉っぱが一枚もない木々で、左を満開の桜にして、春が来た喜びを表した一枚だが、上に書いたようなテーマで撮るとどうなるんだろう?
でもこれから写真を撮るときは、少なくとも「上手に撮ろう」というより「このシーンをどう感じて撮ろうとするか」を意識するだけで、全く違った写真になるかもしれない。
わかりやすく言うと、写真を撮るときに「これから撮る写真のストーリー(物語)を思い浮かべながら撮る」ということで、それができるのではと思う。そういうキャプションを加えるのもいいのかもしれない。
その写真を観てくれた人が、少しでもそのときの情景を感じてもらえるなら、どんなに幸せなことだろうかと思ってしまう。写真って本当に深いなあ。
ちなみに②はKindle版で¥0だったので、こちらで読めるようになった。この本は気に入っているので、図書館に返してからも読めるのはとてもありがたい。
絞り優先AEモードで撮れば、写真は上達する。
そして「絞り優先AEモードで撮れば、写真は上達する」という言葉も今までの概念にはなかったので、これも実践することにした。
ぼくがコンデジで写真を撮るようになったときは、ほぼプログラムオートモード(Pモード)で撮っていた。そして初めて一眼レフカメラを買ってからは、マニアルモード(Mモード)で撮るようになった。
難易度は高いけど、これから本格的に写真を撮ろうとしたら、いろいろ勉強してマニアルで撮るようにしなければ、一人前にはなれないと信じていたのだ。
だから今まで一度も絞り優先のAE(A)モードを使ったことがなかった。でもよく考えれば、プロのように一瞬にしてそれぞれの設定値が判断できて、シャッターチャンスを逃さないで撮るなんてことはできなかった。
そして次の動画を観て、これからは絞り優先モードで写真を撮ることに決めたのだ。
とてもわかりやすい解説で、結局やってることは「Mモード」と「Aモード」は同じかもしれない。それならシャッターチャンスを逃さない「Aモード」でいいやないか。
いや、それでもYouTubeを観ると「ぜったいマニアルで撮りなさい」という人もいる。その理論は間違ってないないだろう。それでもぼくは「脱Mモード」でいくと決めた。
お陰で随分気楽に写真を撮ることができるようになった。これでいいのだ。
「私らしい人生」を送る方法
というわけで「私らしい写真を撮る方法」について学び始めたことで、ぼくの中にあった「写真を撮る」という概念がどんどん変わってきた。これは凄いことだと思う。そしてまだまだ学ぶことがたくさんあるので、このまま続けていくつもりだ。
さて、あらためてわかったことがある。
それは今日教わったことの「写真」という言葉を「人生」に置き換えると、そのまま「私らしい人生を送る方法」という「哲学」になるということだ。
「好きな生き方、いいなと思う生き方をしている人が、どんな思いで自分の人生を行きているのか」それを考えることで「自分の中にある私らしい人生」に気づくことになる。
繰り返すが、これは「自分探し」のように、自分の中にはない憧れる人のマネをしようとするのではない。憧れる人と同じものが自分の中に存在しているけど気づいていない。その光る個性は何なのかを気づくことなのだ。
つまり、好きな生き方、いいなと思う生き方をしている人と、自分自身が深いところで必ずつながっているということなんだね。
この機会に、あらためてそのことを深く考えてみようと思っているのだ。