5日前に徒長のえだまめ君を「寝かせ植え」という方法でなんとかしようと試みた。翌日には先の方が上に向きを変えたんだけど、その後どうなったのか、気になってるかもしれないね。
毎日ずっと観察しているんだけど、とにかく上に向こうと向こうと懸命にがんばっているように見える。でもどうやらそれほどの力はなさそうだ。なにしろ「徒長」という現象も知らないぼくだったから、もともと最初のほうから厳しい栽培だったんだろう。
とはいえ、えだまめ君は生きているのだ。健気にも自分のできることをしようと頑張っているんだと思う。あれ!? よ〜くみると小さな花のつぼみが咲きかけているんじゃないか!
近くに寄ってみると、このとおり小さな白い花が咲きかけている。
ヒョロ苗だろが何だろうが、しかも実を付けたとしても、貧弱だろうが何だろうが「やってやろうぢゃないか!」みたいな凄い気概と生命力を感じる。
「どうだい、おいらはこんなに美しい花を咲かせているんだぜ!」
そんな誇らしい姿を見て、ぼくはなんだか感激してしまった。
じつは正直いうと、今回のえだまめとハートマトの栽培は失敗したと少し落ち込んでいた。まだ終わったわけじゃないけど、たぶんこのまま終わってしまうんだろうなとも思ってしまう。
でも今日このえだまめ君の花を見てあることに気が付かされたのだ。
今の世の中は「結果が全て」みたいな風潮があって、「勝ち組」こそが偉いんだみたいなことを言う。誰が勝ち組なんだというのか? そして何が負けなんだと? いや、むしろ勝ち負けなんてどうでもいいと思う。
そんなことより大切なのは、どう生きたかということ。「結果の質」よりもその「過程の質」なんじゃないのかと思う。このえだまめ君は、日照不足が原因だったり、ぼくの判断の間違いによって、こんなことになってしまった。
それでも彼は自分なりに精一杯生きている。例え、このままりっぱに実がならないのかもしれないけど、せめてもと花を咲かせてくれた。とても立派な生き方じゃないか。そんなことを考えていたら、本当に自分もそんな生き方をしないといけないなと教えられた。
そして「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。」笑顔でそう言っているように見えた。
こちらのハートマト君の方も、やっぱり成長が遅い。こちらも日照不足が原因だったかもしれない。でも元気に生きている。もうぼくは収穫のこととかよりも、彼らがこのまま元気でいてくれたらそれでいいと思ってしまう。
ま、生き物なので、いつかは終わりを迎えるのだろうが、それまでぼくは彼らの「りっぱに生きる姿」をずっと見守ってあげたいなと思う。
「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。」
この言葉は「魔女の宅急便」のキャッチコピーなんだけど、なんだかこの言葉が心に染みるなあ。そして元気になるなあ。
この映画をまた観たいなあ。
そして、この曲もいつか弾けるようになりたいなあ。